kazuyo昔ばなし 幼稚園教諭編 | 自分を知ることからはじまるStory♡ 自己分析術師かずよ

自分を知ることからはじまるStory♡ 自己分析術師かずよ

ヘリオセントリック占星術/OSHO禅タロット/エネルギーヒーリング/チャネリング/テーマのあるお話会.勉強会など

中学1年生の冬
父親が躁鬱病を発症
 
 
そこから
私は
大人達の不運な状況に
次々と
巻き込まれていく
 
 
 
刑事事件
信仰宗教
人の噂話
差別の目
 
 
 
その現実から
逃れることや
 
 
 
他に助けを求めることすら
出来ないまま
 
 
 
時の流れに翻弄され
 
 
 
行き場のない悲しみや
苦しみを抱えて
愛されることに飢えた
思春期を過ごす
 
 
 
自分自身の幸せについて考えることや
将来の夢や願望などを
見いだせないまま
私の学生時代は終わった
 
 
 
 
父親の病状には波があり
感情の起伏が激しく
家庭内では暴れたり、暴言を吐いたり
部屋に引きこもったり
真夜中に家から出て行ったりと
いつ何が起きるか
わからない状況だったので
落ち着かないし
不安でいっぱいの家庭環境
 
 
 
父は、精神科への入退院を
何度も繰り返した
 
 
 
そんな父の姿を見ていたので
私は、男性恐怖症になったり
本当の自分の気持ちを抑え込み
人に合わせて話をしたり
本音で
人と付き合えない時期もあった
 
 
 
将来を考えると
自分が家族を持つことへの不安を感じた
(生涯独身で、、、とも一時期考えた)
 
 
 
なぜなら
自分が結婚して
身ごもって
親になった時
 
 
 
我が子が
安心して過ごせる家庭環境で
育てられないのではないかという疑念が
いつも頭から離れなかったから
 
 
 
そんな中
 
 
 
親でもなく家族でもない
友達や教師、生き物、自然、遊具、
音楽、絵本、、、、など
身近なかかわりの中での体験を通して
幸せのひとときを感じられる
 
 
そんな幼児教育を幼稚園という場で
子ども達に提供出来たら
なんてやりがいがある
職業となるだろうと思い
 
 
 
幼稚園教諭と
保育士資格が
同時に取得できる短大へ進学
 
 
 
卒業後は
公立幼稚園の臨時教諭として
働きながら
採用試験に向けて勉強
 
 
 
毎年、毎年、
近隣の市町村の
公立幼稚園教諭採用試験に
チャレンジする
 
 
私が幼稚園教諭として
働く環境を
「公立幼稚園教諭」に
こだわったのは
 
 
 
同じ働くなら
地方教育公務員として
安定した収入が得られて
産休育休などの福利厚生も
しっかりしていて
年金や退職金などの面で
将来的な不安要素が少ないという点
 
 
また、
自分自身のことで
いっぱいいっぱいで
生きている親や祖父母・曾祖父に
 
 
 
それ以上
迷惑をかけることなく
安心させたいという
気持ちも強くあった
 
 
採用試験に
4年連続挑戦し
4年連続で
不合格となる
 
 
次で落ちたら
私は幼稚園教諭採用試験を
受けることを
止めようと決意
 
 
挑んだ
5年目の挑戦!!!
 
 
短大卒業後~
5年目にして
 
 
受験倍率30倍を超えた
公立幼稚園教諭採用試験に
なぜか
奇跡的に合格!!
 
 
 
採用人数は10名
 
 
次年度の4月1日付で
正式採用の幼稚園教諭となる
 
 
 
採用当時の
私の本音としては
 
 
 
これから公務員としての
規律、規則などの枠に
押し込められ
窮屈な人生が始まっていく
そう感じていた
 
 
 
その年の11月
夫と結婚
 
 
 
自分の本音は
ひた隠しながらも
2児を授かり
産休育休を取得
 
 
 
育休後は
復帰し
夫婦共働きフルタイムで
がむしゃらに
走り続ける
 
 
 
気がつけば
10年経っていた
 
 
 
我が子と
過ごす時間は限られ短く
 
 
幼稚園教諭として
任されたクラスの子ども達と
沢山の思い出を作りながら
一年一年、
愛を込めて
共に育ち合っていく
私の時間は長く、
 
 
平日は
朝7時過ぎに家を出て
帰宅は
20時を回ることもしばしば
 
 
夫と
近くに住む夫の両親に
我が子の保育園の送迎をお願いして
子育て協力してもらう毎日
 
 
休日は、持ち帰り仕事の山
 
 
疲れた自分の身体を休めるゆとりもなく
受け持ちクラスの保育計画や行事計画
職員会議要項の作成、教育記録メモ、
研修記録や研究文章の作成、、、、、
クラス便りの作成のなどの傍ら
家事や育児に追われる生活
 
 
もう私は
心身共に限界が来ていた
 
 
このままだと自分自身が
壊れてしまう、、、、、
 
 
そう感じたある日
 
 
退職を決意