深いですね。社会に差別はあって当然だという平野社長の意見が

間違っているかどうかは分からないが、一理あるとは思う。
また、「時生」ではないけど社会性というステータスは

すでに自分の意志とは関係のないところで決まっているのかも

しれない。自分はその社会性が及ばない範囲で信頼関係による

人間性というコミュニティーを作り上げるしか出来ないのかもしれない。
なんだか、これこそすでに差別されているようであるが、

現実なのであろう。
例えば、選挙などでもマニュフェストに大きな違いが見受けられないと

その人の経歴や肩書き、親が大物であったかなども判断の基準に

入れてしまうだろう。それは本人の努力によるものももちろんあるが、

親の影響も多少なりともあるのであろう。

しかし、子は親を選べない訳で、そういう意味では社会性は

自分自身ではどうすることも出来ない。しかし、講演会を開いて

一人一人の話を聞いてまわるなど、信頼関係による糸を

広げていくことはいくらでもできる。

親のおかげである社会性のステータスは十分活用すべきである

と思う。それが無ければ回り道をして時間をかけなければ

得られないものであるのだから。しかし、社会性の及ばない

友人関係や恋人関係は自分自身でいくらでも広げて

いくことができる。その延長線上に時間はかかるが、社会性も

得られるのかもしれない。

そういう意味では、この社会は平等なのかもしれない。
この社会の不完全さが平等なのかもしれない。

ひとまず、自分自身の努力も少しはあるのかもしれないが、

大学までいかせてもらえたということを親に感謝しなければならない。

そう感じさせてくれる作品でした。


実は、この作品は1年前にも読んでいたのでその感想も、

会社や人々はある人の人間性だけではなく社会性をも求めている。

そして、どちらかを亡くした場合、地道に一歩一歩這い上がっていくか、

才能や財力などの力が必要となる。とてもわかりやすいことだ

と思った。朝美も直貴によって社会というものの現実に少しは

気づけたのかもしれないと思いました。繋がりの糸は結びにくく

めんどくさいものかもしれないが、その分助けとなるのだろう。


ん~1年前と比べて感じ方に成長はあるのかな?

1年前はなんだかんだ言っても社会は単純なんだ。社会性か才能、

財力がなければ人間性の糸を広げていかなければならない。

それが社会なんだと思っていました。


今はどのように感じたか。社会性に財力や才能は含まれると思う。

それが、結婚や努力によって手に入れたとしても、それが

手に入れられる環境自体が社会性なのかなと感じたからです。

それの対照的なものに人間性があるのだと思う。

社会性と人間性が対照的ならば、いくら頑張っても

社会性は得られず、先の発言と矛盾することになるように

感じるが、世間一般を社会とするのであれば、社会性は何世代も

後になら得られると思います。つまり、その人の人間性とは離れて

しまいます。そういう意味で、対照的な気がするのです。


なんか、ごちゃごちゃしてしまいましたが、

あんま感受性は成長していないのかもしれませんし、

する必要もないのかもしれませんね。

ただ、多くの話を通して、少しでも変わりたいとは思います。

今の自分が好きとか嫌いとかではなく、本を読んでも

へ~って終わるような読書はさみしい気がします。


まぁ、この「手紙」もお勧めですよ。

よろしければ読んでみてください。