前回までのまるなおブログは


いざ行かん
光が注ぐ
負の遺跡



「オシフィエンチム行きのバスのチケットを1枚」


クラクフのバスターミナルのチケット売り場で
私はこう頼みました。
私が向かったのはオシフィエンチムにある
「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所博物館」。

遂に来られました。



アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所博物館(以降アウシュヴィッツ)、
訪問予約が必要です。
色々調べる中で、日本人の公認ガイドがいることを知り、
どうしてもその方にガイドしてもらいたいと連絡先入手しました。

中谷剛さん。
アウシュヴィッツ日本人唯一の公認ガイド。
中谷さんについてはこの記事がわかりやすくていいかもしれない。

日本語が堪能で日本のバックグラウンドを持つ人には
ぜひ中谷さんのガイドでアウシュヴィッツを見ることをお勧めします。
そして中谷さんにツアーガイド頼むと訪問予約も込みで予約してもらえます。


当日はガイド開始の10分前に、入口建物前集合。
ご夫婦、ご家族、お一人、様々に10名ほど。
見学は第一強制収容所→第二収容所ビルケナウの順。
荷物を預けて中に入り、ガイド用のイヤホンを借りて進みます。


入口は本当に混雑していて迷子になりそうなくらいでしたが、
中に入るとガイドの方が連携を取って進んでくれるので、
特に混雑で何かが見れないということもなく。
ただ、後ろにもグループが続くので結構早足ではありました。
これもあって、本当に本当に予習して行ってよかったと心の底から思った。


ARBEIT MACHT FREI
働けば自由になれる
そんなわけはないことは、収容されていたユダヤ人たちも知っていただろう。

当時の建物がそのまま静かに佇んでいる。
こんなに晴れた日に、
木々が生い茂っている。
こんな日は80年程前にもあったかもしれない。


「ユダヤ人は絶滅すべき人種」
ポーランド総督、ハンス・フランクの言葉が残されています。

毒ガスとして使われた殺虫剤・ツィクロンB。

奪われた義足たち

日用品

かばん。
かなり制限されながらも荷物を詰め込んだ鞄には、名前と住所が書いてあります。
「手元から離れてもきちんと家に届くように」と書かれた持ち主のもとに帰ることはありませんでした。

ニベア缶も見える。

監視塔。
ドイツ語とポーラン語で「止まれ」と書いてある。
ドクロマークの下に。

ガス室、煙突。
アウシュヴィッツの所長、ルドルフ・ヘスは
このガス室のたった数100mに居を構えていて、今もその家が残っていました。
中谷さんの話ではルドルフ・ヘスは良い父親だった、と。
「良い父親」の住む家の目と鼻の先で、彼は虐殺を指揮していた。
誰かにとっての悪は誰かにとっての善で、
一括りにできないのが余計に苦しく感じる。


アウシュヴィッツというのは、
ポーランド語の地名オシフィエンチムを
ドイツ語風に読んだもの。
アウシュヴィッツ博物館に行くバスに乗る場合は「アウシュヴィッツ行き」ではなく
「オシフィエンチム行き」です。

先日会った友人の話では、
何も知らずに「アウシュヴィッツ」に行くバスかをドライバーさんに尋ねたところ、
そんなところはない、と答えられたそう。
つづけてどこから来たかを聞かれて日本だと答えたら、
「特別に教えてあげるけど、アウシュヴィッツではなくてあの場所はオシフィエンチムなんだよ。
アウシュヴィッツではなくてオシフィエンチムに行きたいと言ってほしい」
と言われたそうです。

バスの案内には「アウシュヴィッツ行き」と書いてあるものもあるし、
アウシュヴィッツ行きですか、と聞いたら答えてくれる人たちもいっぱいいるはず。
でも、
これを知ってこれから現地に行く方は
「オシフィエンチム」へ行ってほしいです。



そして、ビルケナウに向かいます。