「あなたも乱発している利己的な接続詞『だから』の研究」『週刊朝日』94.4.29号
ひとつ前の記事のコメント欄でTRKさんがコメントしたくださっている、「だから」(情意的用法)をとりあげた『週刊朝日』の記事を貼ります。
こちらです。(←クリックしてください。)
この記事の最後のところで話題になっている、「だから」(情意的用法)の成立の背景が今回の一連のエントリのテーマです。
あらかじめ結論的なことを述べさせていただきますと、「だから」(情意的用法)の成立を日本語のモノローグ性と関連付けて理解する加藤典洋氏の考えには賛成できないでいます。
日本語の特質をモノローグ性に求めることにも、また「だから」(情意的用法)をモノローグ性と関連付けることにも、問題があると思っています。(これは記事が出た当時から思っていました。)
なお、この問題に触れられるのは、このテーマでのエントリの何本か後になる予定です。
次のエントリでは、「だから」の「情意的用法」の輪郭をまずははっきりさせたいと思っています。
なおなお、今回、PDFファイルを拙ブログに貼るに当たっては、とまてさんの多大なるご支援・ご指導をいただきました。改めて感謝申しあげます<(_ _)>。
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この記事の最後のところで話題になっている、「だから」(情意的用法)の成立の背景が今回の一連のエントリのテーマです。
あらかじめ結論的なことを述べさせていただきますと、「だから」(情意的用法)の成立を日本語のモノローグ性と関連付けて理解する加藤典洋氏の考えには賛成できないでいます。
日本語の特質をモノローグ性に求めることにも、また「だから」(情意的用法)をモノローグ性と関連付けることにも、問題があると思っています。(これは記事が出た当時から思っていました。)
なお、この問題に触れられるのは、このテーマでのエントリの何本か後になる予定です。
次のエントリでは、「だから」の「情意的用法」の輪郭をまずははっきりさせたいと思っています。
なおなお、今回、PDFファイルを拙ブログに貼るに当たっては、とまてさんの多大なるご支援・ご指導をいただきました。改めて感謝申しあげます<(_ _)>。