中根千枝氏の「タテ社会論」について(3) 「場」による集団がもたらすもの ―たえざる人間接触― | まるおの雑記帳  - 加藤薫(日本語・日本文化論)のブログ -

中根千枝氏の「タテ社会論」について(3) 「場」による集団がもたらすもの ―たえざる人間接触―

本日、二投目です。
中根氏は、「場」の共有によって集団が構成される場合、「集団結集力を導き出す何らかの方法が必ず講ぜられなければならない」という。

集団が個人的な属性(すなわち「資格」)の共通性によって構成されている場合は、その構成員の同質性自体が集団結集力の成立に大いにものをいうのに対して、同質性を有せざる者が「場」によって集団を構成する場合は、それは寄り合い所帯であり、もっと言えば「群れ」にすぎないからである。


寄り合い所帯たる「場」による集団が集団としての機能をより強くするために二つの方法がとられるという。
一つが、
「枠内の成員に一体感を持たせるための働きかけ」
であり、
もう一つが、
「集団内の個々人を結ぶ内部組織を生成させ、それを強化する」
ことである。
(まるお注:後者の「個々人を結ぶ内部組織」は、庇護と被庇護の親分・子分関係と密接にかかわる。が、ここではまず前者についてみておく。)

「資格」の違いは理性的なものである。そのような違いを乗り越えるためには、感情的なアプローチが必要とされるのである。そこでとられることになるのが、「たえざる人間接触」である。

** 引用 **
この感情的なアプローチの招来するものは、たえざる人間接触であり、これは往々にしてパーソナルなあらゆる分野(公私をとわず)に人間関係が侵入してくる可能性をもっている。
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会社終了後の居酒屋等でのノミュ二ケーション、社内運動会、慰安旅行等の日本の会社組織の特徴とされてきたものが、ここで言う、「人間接触」の例であることは言うまでもない。


PTAにおいて、飲み会やランチパーティ等への参加を求められて辟易している保護者の話を聞くことがある。
この問題は、おやじ・おばばの酒好き、騒ぎ好き、有閑マダムの暇つぶしという側面からだけではなく、【「場」による集団が必然的に招来するもの】という視点からの考察も必要ではないだろうか。