「事実上の強制」を認めた画期的な判決 その2(自治会裁判とPTA(4)) | まるおの雑記帳  - 加藤薫(日本語・日本文化論)のブログ -

「事実上の強制」を認めた画期的な判決 その2(自治会裁判とPTA(4))

<逆転判決のポイント>
一審では認められなかった一部住民の主張がなぜ認められるようになったのか?
ここにも法技術的な難しい理屈はないように思う。
あるのは、極めてシンプルな価値判断の転換のように思われる。
それは、一言で言えば、
「『みんな』の論理」が制限され、個人の自由が尊重されるようになった
ということだ。

一審と二審の判断を分かつのは、要するに、思想信条の自由の侵害を認めるか否かであった。
一審では、「自治会の決定は思想信条の自由を侵害している」との原告の主張は「理由がない」として捨てられ、自治会の決定は「必要性と合理性がある」ものとして認められたのだった。
では、二審ではなぜ思想信条の自由の侵害が認定されたのか?
そこには、二つのポイントがあると思う。
一つは、「『みんな』のため」という錦の御旗の論理に一定の制限が加えられた点。
以下の判決文に注目されたい。
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募金及び寄付金に応じるか否か、どのような団体等又は使途について応じるかは、各人の属性、社会的・経済的状況等を踏まえた思想、信条に大きく左右されるものであり、仮にこれを受ける団体が公共的なものであっても、これに応じない会員がいることは当然考えられるから、会員の募金及び寄付金に対する態度、決定は十分に尊重されなければならない。(P.7~8)
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また、「班長や組長の集金の負担の解消」は、上乗せ徴収を正当化するものにはならないとも明言されている。(P.7)
一審では認められた「『みんな』の論理」が通らなくなっているわけである。

そして、もう一つのポイントは、「退会の自由の制限」が建前ではなく「事実のレベル」で認定された点だ。(前回紹介した「判決の論拠2」参照。)
「会の決定に不服なら退会すればいいだけ」という言い分に対しては、住民にとっての自治会の存在(「日常生活を送る上において欠かせない存在」)に配慮することで、退会の自由が実質的に制限されていることが認定されているのだ。
これが認定されたおかげで、「嫌なら退会すればいいだけ」という反論が通らなくなった。
そしてこの点が認められたおかげで、「事実上の強制」が認定され、逆転判決に至った。
一審では省みられなかった個人の自由が大幅に認められたわけである。


<PTA問題を考える上での判決の意義>
Ⅰ 「みんな」の論理の制限
この判決は、
①たとえ一定の公益性が認められたとしても、
②たとえ一定の必要性(役員の負担軽減)があったとしても、
③たとえみんなで話し合って総会等で決めたことであっても、
個人の意思決定の権利(思想信条の自由)を侵すことは許されないことを示したという意味で画期的なものだと思うのだ。

①学校のため・子どものため・地域のためなのだ
②選出役員等の大きな負担を軽減するためなのだ
③総会なり委員会でみんなで話し合って決まったことなのだ
これらの三つの言い分は、PTAでの役職の無理強いをいわば正当化する上で、たびたび使われているロジックと言っていいだろう。しかし、それらのロジックは、個人の自己決定権を侵すことを決して正当化できるものではないことが、今回の判決で明らかにされたといっていいだろう。

Ⅱ 人権の尊重
先に見たように、判決では、その地域の大部分の人が会員であることや、退会するとゴミだしや市の配布物の受け取りに不便が生じかねないこと等から、「退会の自由が事実上制限されている」と認定した。
考え方によれば、「ゴミは自分でゴミ処理場に持っていけばいいし、市の広報とて自分でとりに行けばいいだけ」という言い分が成り立つ。事実、このような主張は、自治会に入って当然と言う立場の人がよく言うことである。

以前現役のヒラ役員のとき、運営委員会で、役職の無理強いやそれに伴うプライバシーの開示強制を問題にしたところ、「無理強いと言っても網走に強制送還されるわけでもなし、プライバシーの開示強制と言うがみんなの前で素っ裸にされるわけでもない」という驚くべき反論が会長から帰ってきたことがある。(まあ口が滑ってしまったのだとは思うが、それにしても…。)
また、2ちゃんねるの違法スレで、役の無理強いは人権侵害だと主張したところ、「監禁したり、暴力に訴えて強制すれば違法であろうが、くじ等で押し付けるくらいでは違法とはならない」と、やけに法律に詳しい人から言われたこともある。確か、断わろうと思えば断われるのだから、「強制」にはならないという言い分だったと思う。

しかし、それを言うなら、今回の自治会のケースとて、自治会をやめればそれで意に染まぬ寄付をすることから逃れられるわけだ。ゴミだしの問題も、役所からの文書の配布も何とかしようとすれば何とかすることは可能である。命をとられるわけでも、体を傷つけられるわけでもない。しかし、裁判所は、住民の快適に暮らす権利に十分な配慮を示したのだ。

判断の水準が、「素っ裸にされるわけでも体を傷つけられるわけでも,ましてや命をとられるわけでもないのだから」といった水準ではなく、人間らしく安心して暮らせる事に十分に配慮したものであることがすばらしいと思う。

(おわり)