四国霊場第五十八番札所・仙遊寺(せんゆうじ)《過去のブログ記事より》 | 石川鏡介の旅ブログ

石川鏡介の旅ブログ

四国霊場会公認先達(権中先達)&秩父観音札所連合会公認先達です。四国霊場を中心に、古寺名刹、神社、城跡、名所旧跡。さまざまな旅の思い出を綴ります。

 

 

 四国八十八ヶ所の第五十八番札所は仙遊寺(せんゆうじ)です。正式には作礼山(されいざん)千光院(せんこういん)仙遊寺といい、宗派は高野山真言宗、本尊は千手観世音菩薩、開基は越智(おち)守興(もりおき)、所在地は愛媛県今治市玉川町(旧越智郡玉川町)別所甲四八三番地です。

 五十七番札所の栄福寺から南へ、直線距離にして約二キロ、クルマの場合は、昭文社刊『四国八十八ヶ所巡り』というガイドブックに紹介されているコースをたどると約四キロという道のりです。ただし、四キロとして紹介されている道のりは少し遠回りで、山を登って行くこともあってかなり道が曲がりくねっているいるので、実際、歩き遍路が歩く道でしたら約三キロに短縮されます。

 お寺の山号にもなっている作礼山という山の頂上近くの高い場所に建てられており、標高は約三百メートル。海からそう遠くない場所での標高三百メートルですから、それなりの高さです。ちょっとした高台などというものではなく、晴れた日には境内から今治の街並みやその向こうの瀬戸内海がよく見えるほどです。以前、もう十何年か前でしょうか、NHKの「ひるどき 日本列島」という番組でも紹介されていました。

 急峻な山岳などというものではないし、地図上ではたいしたことない山のように見えますが、真夏の暑い日や雨の日などに登って行く場合、なめてかかってはいけません。相当に疲労します。実際、私が初めて訪れた時は一九九八年の八月で、五十九番札所から逆打ちで歩きましたが、五十九番札所に着いた時間が八時十分だったのに五十八番札所には十時四十分ごろ着きました。猛暑と、距離の長さと、栄福寺付近からの山道にまいってしまって、仁王門に着いた時にはヘトヘトになっていました。

 仁王門から本堂の方までも平たんな道ではなく、門をくぐると長い石段を登ることになりますし、仁王門の前から回り込むように車道を行きますと本堂の後ろの方の駐車場に出るのですが、どちらにしろ結構な登りです。

 初めて登った時は相当に汗をかきましたから咽喉が渇き、お寺の方に「水をください」と言いました。すると、快くコップ一杯の水をくださいました。

 このお寺は天智天皇の勅願により伊予の国主・越智守興が建てた、という、大変い歴史のあるお寺です。

 本尊の千手観音は天智天皇の守護仏だったといいますが、竜女が刻んで、竜女により届けられた、という伝説もあるようです。

 天智天皇の勅願寺として建てられた後、「阿坊仙人」という方が参篭し、以来四十年も住み込んで諸堂を整えた。養老二年(西暦七一八年)に突然姿を消した、という伝説があり、その「阿坊仙人」にちなんで「仙遊寺」と呼ばれるようになった、とのこと。阿坊仙人とは大陸の方から渡ってきた帰化人僧ではないかという説もあり、瀬戸内海が大陸とを結ぶ重要な交通路だったことを考えると興味深いです。

 その後、寺は荒れたが弘法大師が巡錫の折に留まり、再興したということで四国八十八ヶ所のひとつとなりました。

 本堂は昭和二十八年に再建された(昭和二十二年に山火事で焼失したため)ということですが、なんとも古びた雰囲気の建物です。

 私が二回目に訪れた時はやはり夏で、この時は初めて行った時の印象が強かったのでタクシーで上りました。

 そして今回が三度目で、延命寺で待ち合わせて「海峡レストラン 伊豫水軍八幡船倭寇」というお店で一緒にお食事させていただいた愛媛県在住の先達さんのクルマで行き、本堂や大師堂で、作法通りにお参りをさせていただきました。

 先達さんとお参りする場合は、先達さんが行う四国霊場のお参りの作法というものがあります。懺悔文や真言や開経偈、般若心経、御宝号、回向文などを唱える順番や回数があります。過去にも何度か先達さんと参拝しているわけですが、こうして先達さんと一緒にお参りをしますと、そのような作法も体験的に分かり、四国霊場の信仰の文化に触れることが出来るわけです。とても貴重な体験であり、こうして四国霊場の神髄に触れることが出来るのではないか、と思えるほどです。もちろん、深く理解するにはそのような経験をより多く重ねていくことが大事ですが。

 今回はあいにくの雨降りで境内をじっくり心ゆくまで散策する余裕もありませんでしたが、雨の中の古寺の本堂も雰囲気が良いもので、なおかつ、境内が混み合うこともないので、それはよれで良かった、と言えます。

(2013年5月17日の「石川鏡介のブログ」の記事を再編集)

 


にほんブログ村