四国霊場第二十九番札所・国分寺(過去のブログ記事より) | 石川鏡介の旅ブログ

石川鏡介の旅ブログ

四国霊場会公認先達(権中先達)&秩父観音札所連合会公認先達です。四国霊場を中心に、古寺名刹、神社、城跡、名所旧跡。さまざまな旅の思い出を綴ります。

 

 

 四国八十八ヶ所の第二十九番札所は国分寺です。正式には摩尼山宝蔵院国分寺(金光明四天王護国寺)といいます。。宗派は真言宗智山派、本尊は千手観世音菩薩で、開基は行基菩薩、所在地は高知県南国市国分五四六番地です。

 いうまでもなく、奈良時代に天平年間に聖武天皇の勅命により建てられた国分寺のひとつです。奈良時代に全国に建てられた国分寺は、正式名称を金光明四天王護国寺というのですが、一般的には国分寺と呼ばれます。

 国分寺は各国(武蔵国とか上総国とか越後国とか甲斐国とか)の中心部たる国府、またはそれに近い場所に建てられたので、昔はこの南国市国分の辺りが土佐の中心部であり文化的先進地帯でもあった、ということが分かります。

 「土佐日記」の著者である紀貫之(きのつらゆき)も国司としてこの辺りに四年間滞在していたそうです。

 土佐の国分寺も他の寺同様、歴史の荒波に揉まれました。強力な律令体制によって建立されたものの、律令政治の衰えとともにお寺も衰退し、さらには幾度もの戦禍に遭い、廃寺同然となったようですが、戦国時代に長宗我部元親が再建し、江戸初期には山内忠義が修理し保護したとのこと。そのためか、全国に数ある国分寺の中でも、いにしえの雰囲気を残しています。

 天平時代よりは寺院としての規模が縮小されているでしょうけれども、境内はけっこう広めで大寺としての格式を保っているようですし、仁王門、本堂、大師堂などの建物も古さをそのまま残して文化財的な価値も歴史の重みも感じます。伽藍の配置も樹木の配置具合も良く、庭園も落ち着きがあります。

 お寺で気分が落ち着く、とか、癒される、ということは、この国分寺で特に感じます。

 鉄道で行く場合の最寄駅はJR四国の土讃線の後免駅です。後免駅の東側から北へ二キロほど進み、橋を渡ってちょっと進んでから左折しますと、間もなく仁王門の前に出ます。

 初めてこのお寺を訪れた時は一九九七年の大晦日で、三十番札所から逆打ちで二十九番・二十八番・二十七番・二十六番とまわったのでした。すべて歩き通そうなどというつもりもなく、その日は二十六番札所の金剛頂寺の最寄りのバス停近くにある民宿に予約を入れていたので、主に公共交通機関を使い、二十九番札所からこの国分寺までの移動は鉄道で(土佐一宮駅から後免駅まで)、後免駅から歩きました。

 去年(西暦二〇一二年)の十一月に訪れた時(歩き遍路ツアーで室戸の最御崎寺や津照寺や金剛頂寺へ行った翌日)は、朝から雨で、民宿から二十八番の大日寺まで行って納経したものの、降りが激しくなってきたので大日寺の門前でタクシーを呼び、タクシーで国分寺まで行きました。

 あとで振り返ると、このタクシーでの移動中が一番激しく降っていたようです。

 雨降りの境内もなかなか風情あるものでした。

 とはいえ、雨にぬれることを恐れずじっくり時間をかけて見学したかったとも思いますし、良く晴れた日の、もしくは違う季節の国分寺境内も見たいものだと思いますので、また何度でも訪れたいです。

(2013年1月19日の「石川鏡介のブログ」の記事を再編集)

 


にほんブログ村