信号待ちをしていても額から汗が流れてくる。
この横断歩道を渡れば、役所の正面玄関にたどり着く。
あー、それにしても、今年の夏は異常に暑い。
親の死後何度か役所に足を運んだ。
生命保険の手続きに必要な証明書類を手に入れるために。
出生から死亡までの母の戸籍を手にする。
3部構成の結構な厚みの書類の束。
それは戦前から始まり、
母(私にとっての祖母)は養女であることや戦死した伯父たちの名前、戦後父(私にとっての祖父)が職を転々としたため転居を繰り返したことが見て取れた。
親戚の土地に家を建ててようやく定住。
そして実家を離れ夫の戸籍に入る。
結婚、出産、死亡。
母は10代の私に
自分の人生の不条理や不満を聞かせてきた。
今思うと一つの虐待だった。
私のひねくれた性格はこれにより形成されたし、
物事にはウラとオモテがあることを早い段階で悟った。
子供の頃転居を繰り返したことで受けたいじめ。
親戚の土地に家を建てたことからくる親戚間の上下関係。実家は下に見られている。
結婚してからは姑との不仲。
夫の姉、弟への不満と不仲。
ご近所、親戚、姑、夫の悪口を私に聞かせ続けた。
『もうヒトの悪口を私に聞かせるのはやめて』
と声を上げると、
母は『親の話を聞くのは娘の義務だ』と言い放った。
やがて私は予備校にも行かず、ひとり猛然と受験勉強をし遠方の大学に進んだ。
母から離れることが目的の一つだった。
今更疑問なんだが
母は私に何を伝え何を残したかったのか?
ひととき憂さを晴したかっただけなのか?
母の戸籍をパラパラとめくり一瞥し確認はしたが、私はすぐにそれを封筒に納め二度と見ることはなかった。