『株式会社◯◯△△(某上場企業)

⬜︎⬜︎⬜︎工場』



この二つ言葉を聞くたびに

胸の奥が締め付けられる。


切なくて

そして、申し訳なくて‥‥



認知症発症10年


父が発する言葉、意味を成す言葉はこの二つだけだ。


『◯◯△△

⬜︎⬜︎⬜︎工場』


18才から働いた職場

半世紀を超え粉骨砕身した場所


父、母の名

姉、弟の名

妻の名

子どもの名


昨秋にはすべて忘れたというのに。




『立派な会社にお勤めですね』と声を掛けると、

満足気に笑みを浮かべる父。



戦中戦後の貧しさ

高度経済成長

バブル期そしてその崩壊


無遅刻無欠勤で勤め上げた。


すべては家族のため、生活のため?

いや、自己実現のためだったとも思いたい。


昭和の企業戦士

24時間戦えますか?のキャッチコピーがテレビから聞こえていた時代。


時は移り

就業の価値観は変わった。


企業は働く人に休め休めと促している。


もし正気なら

この時代は父の目にどう映るのだろう?



そう夢想しながら

ワタシは今日も繰り返されるこの言葉を

うなづきながら聞いている。


『◯◯△△

⬜︎⬜︎⬜︎工場』