〜大腸ガン闘病記〜

今から7年前。

2年ぶりに受けた健診‥

便潜血検査で異常があった。


痔かな?🩸


大腸カメラを受けることが想像できた。

近くのクリニックにも『大腸内視鏡』を看板に掲げているところはある。


羞恥心を伴うような検査だとも想像できたので、

近くは避けて敢えて市境をまたぎ、クリニックを選んで行った。


さて、大腸内視鏡の結果。

小さなポリープは取れたが、一つ大きなものが取れない。



クリニックの医師はこう言った。

『僕なら取れるけど、ここは入院設備がないからできない』


『取れるポリープ』

医師のこの言葉を信じ、ネットを調べて転院先を選んだワタシ。

いわゆる大病院でも

がんセンターでもない、町の病院。

隣の市のさらに隣の市。


そこには大腸内視鏡の指導医がいて、検査数も多く書かれていた。


結果

ポリープは内視鏡では取れず 

外科手術となり

抗がん剤も受けた。


主治医となったA外科医

腕のいい外科医だとのちに分かる。


翌年、子宮体癌0期で入院手術をした大学病院にA医師は勤務していた。


当時を知るスタッフがいて、A医師の技術の高さを聞かされていた。


一方で、普通の町の病院であったため、がん患者へのメンタル面での支えが得られず術後の闘病は困難だった。

サポーターや患者会、ガン専門の看護師などなかった。




さて、

⬆️上記

”隣の市のさらに隣”を強調したのには訳がある。


最初に大腸カメラをした隣の市のクリニックで身も凍る思いがした。


これに着替えてください、と検査着を渡してきた看護師は、我が子と同じクラスの保護者だった。


パートで働いているとは言っていたが‥‥

知り合いに会うなんてことがないように

はるばる隣の市までやって来たのに‥‥


まさかまさかの出来事だった。



治療や病院を選ぶ上で医師のことばと『お知り合い』は、重いものであった。