12月、持病の全身性強皮症の点滴治療を受けるために断続的に計12日間入院した。
皮膚の強張りを緩和するのが目的。治療効果は50%である。これが難病の難病たる所以。
確立した治療法が無い。当たるも八卦当たらぬも八卦…
入院中テキパキと働く看護師さん、看護助手さん、クリーンスタッフを見るにつけ、人のために奉仕する仕事の尊さを改めて感じた。
因みに。
クリーンスタッフはみな外国人であった。
カタコトの日本語を駆使してゴミ箱を空にしたり配膳、下膳をしてくれる。
『お名前よろしいですか?』は堂にいったものだった。
”エッセンシャルワーカー” を心から尊敬する。
さて、私は…
何故40半ばにして介護の仕事に就いたのか?
それは父の認知症がきっかけだった。
父は私の無知からろくでもない施設に入り5日で退去。
介護という仕事に過剰な期待をしていた無垢な私。福祉ってなんなの❓ならば介護士になってやろう❗️百聞は一見に如かず、虎穴にいらずんば虎子を得ず…💪
やがて、母も認知症になり社会性を失う。
精神科に入院となった。
そして昨年
両親ともに逝去、私の両肩に乗っていた要介護の親という重しはなくなった。
思えば、介護士としての日々は利用者のためでなく、自分自身のためだったのかもしれない。
施設に預けた父にはしてやれないこと
医療保護入院させた母にはしてやれないことを
利用者さんたちにさせていただいていたのかも?
つまりは利用者さんたちに両親を投影していたのではないか?
もし親が認知症にならず1人で暮らしていたら料理や掃除をしていたろうし、自宅でみていたらオムツ替えや清拭なんかもしていただろう。
手放した両親への良心の呵責を和らげるために無我夢中で働いていたのか?
最近特にそう思う。
介護職からはしばらく離れることにする。
紆余曲折いろいろあった『介護すごろく』を今はそっと棚の奥にしまっておこう。
またダイス🎲を握りたくなるのか?
今はまだ分からない。