前回:私の朝。の話に戻る。
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こんにちは。
私の高校では、毎日朝中学生は礼拝堂で、高校生は大ホールで礼拝があり、みんなで聖書を読み、賛美歌を歌います。
当直の先生か宗教委員の生徒が聖書の箇所と賛美歌を決めます。
コロナが終わり、ようやくみんなでホールで集い礼拝を行えるようになったのですが、コロナ前を知らない学年が増え、コロナ前は
よく歌われていた賛美歌も、いまではもうほとんど歌われません。
いい歌ですよね。(賛美歌)らしくない感じが、たまに歌うにはまたいいですね。
さて、本日の丸本屋ブログは
【政治経済】
10月19日(木)政経 #1 国際社会 導入編
というテーマでお送りいたします。
今日(昨日)は木曜日ということを忘れていて、昨晩「あ、明日は水曜日だから.....え?」と。
完全に曜日感覚がバグっております。
火曜日は「マツコの知らない世界」を必ず観るようにしています。
でもリアルタイムで観ているわけではなくて、毎週録画予約をしております。
つまり「マツコの知らない世界」を観るのは必ずしも火曜日というわけではないのにも関わらず、「マツコの知らない世界」を観ているときは「今日は火曜日」という脳内になってしまうわけで。
詰まるところ、常に曜日感覚がバグっております(笑)
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それでは本題に入りましょう。
国家とはなにかについて考える。
話しは17世紀のドイツ。
ドイツと言っても、ドイツ帝国やプロイセンではありません。もっと前に存在した神聖ローマ帝国です。
ドイツの宗教戦争 (カトリック(旧宗教)VSプロテスタント(新宗教)の対立)
#私の学校はプロテスタントだよ
#メソジスト派
その宗教戦争を発端とする30年戦争の講和条約のウェストファリア条約。
この条約の締結以降『国際社会』の意識とその秩序が生まれる。
#ウェストファリアはドイツの西の端っこだよ
この条約締結後、300を超える独立国家がヨーロッパに誕生し、それぞれが平等な関係を持っています。(=主権国家)
主権国家の三条件 (復習ですから手短に。)
・主権
・領域
・国民
ですよね!
(世界史の話はもうここまで)
理系ですので...。
一旦広告のお時間です
はい。では次のテーマへ進みます。
国家の主権回復(=独立運動、革命運動)
18世紀に始まった市民革命(アメリカの独立運動、フランス革命、ピューリタン革命)、国民主権に基づく国民国家こそが『主権国家』
これによって生まれたのが国家への帰属意識。つまり『ナショナリズム』です。
#今の我が国に足りないものですね。
今の我が国といえば、国歌斉唱の際にも「皆さんそれぞれ、思想の自由がありますから、ご起立は強制しません」などと腑抜けたことを抜かす輩もいますが、論外です。
国家への帰属意識、「愛国教育」は海外では小学校で学ぶごくごく当たり前な、一般的なものです。
「海外」というとぱっとしないと思うのではっきりいいます。アメリカ、カナダ、チャイナ、南朝鮮、北朝鮮、ロシア...などなど。我々の聞いたことある名の国ほぼ全てです。いや、もしくすると日本以外のすべての国かもしれません。
だっておかしいですよね?
国民主権の国民国家(民主国家)は国民統合の意思、『ナショナリズム』によって初めて成立した、我々人類の長い歴史の中で勝ち取ってきた権利です。
国民国家の成立が、国民によるナショナリズムによるものならば、現在ナショナリズムを失った日本はどうでしょう。
誰のための誰の国なのでしょうか。
先程紹介した旧諸欧国のみならず、日本の明治維新もその大きな一歩であったことは間違いありません。
これは、非常に重要な問題で、我々も真剣に考えなくてはなりません。
国際法。一度は聞いたことのある言葉でしょう。
「国際法の父」とも呼ばれるグロティウスはいわゆるこのルールの必要性を一早く重要視して唱えていました。
戦争の防止のためですよね。
法による支配です。ご隣国方に欠けているあれです。
中途半端ですが、今日の授業はここまででした。
そんなわけで
【政治経済】
10月19日(木)政経 #1 国際社会 導入編
というテーマでお送りしました。
それでは皆様、また明日!
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