
昨日は母の命日でした。
あれから12年かー。
年月経つのは早いなあ。
毎年早いなあと思いますが、干支一回りということで
長く回想させてください。
12年前ですが、あの当時のことは鮮明に覚えています。
あ、父も先月命日でした。

それはちょっと忘れててごめん。
写真の大きさにも出てますが、母の存在がとても大きかったので
それは父も許してくれるのでは。
12年前というのは、すごく激動な年でした。
まず、うちのヒトと暮らし
初めてうづまきと暮らし始めました。
うづは小さくて無邪気で、即夢中になりました。

可愛いかったー。(今も可愛いけど、パピーは格別に)
その辺りから母の病状が悪くなりましたが、相方と暮らし始めた家は
私は引越当時知らなかったのですが、闘病を続けている母の病院に近いところ。
相方がそれを考えてくれていたそうです。
感謝です。

母の病状がよくないところ、更に父がケガをして
離れた病院通いが大変で
酷く消耗したのですが、数日の間に父が母の入院している病院に転院出来て
それもありがたかったです。
あの時は、心身ともに辛かったです。
でも、ちびうづに癒されました。
結局ちびうづには、迷惑かけちゃったけれど。
結局母は亡くなり、父は入院中ということで
姉妹で葬儀の準備。
母の主治医の奥様が母の友人ということもあり、よき葬儀社さんも紹介していただきました。
もちろん初めてのことで、何も分からず憔悴していた私たちを支えてくださり
葬儀社の方々はありがたいと思いました。
母の葬儀は、定年退職して8年も経っているし
できる限り連絡をしましたが(携帯や母の電話帳で連絡しました)
平日でもあるし、少しでも弔問のお客様が来てくれたらいいなあと思っていました。
葬儀、相方に受付を頼んだものの2名必要ですと言われ
じゃあ、私が!と言ったら親族は出来ませんと言われ
途方に暮れた時に
幼なじみの啓ちゃんに苦し紛れに頼んだら
「その(葬儀)ために、休みをとっているよ」って言ってくれてありがたかった。
麻子もありがとう。
葬儀には、両親の知り合いだけでなく
私や妹の友達もたくさん来てくれて
貫禄からか、親族と間違えられた友達もいて笑いました。🤣
結果、すごくたくさんの弔問を受けて
お返しの品が足りなくなるほどに。
母の友人の保険会社の方にも
退職して何年も経っている女性の葬儀は、こんなに弔問客来ること無いわよ。
と言われました。
葬儀が終わり、精進落としの席に行くと
「まー、なんてそっくり!」
と皆様に言われつつ
こういうことでお世話になったの!
と、たくさんの方々がお礼を言ってくださり。
私の知らない母のエピソードをたくさん聞くことが出来て、改めて母の凄さを知りました。
母は、バリバリ証券会社で経理を勤めつつ
家のことも子育ても、父と協力しながらこなしていて
本当に尊敬です。
退職してからは、少し燃え尽き症候群になって
季節性のうつ(冬とかになる)になっていて
あれをもう少し私たちが、なんとかしてあげれたら良かったのかななんて
後のまつりですが。
存在が大き過ぎて。
お風呂に入ったら、耳の裏もよく洗いなさい。
とか、今でも身に付いてます。

入院しちゃって、うづにも会わせられなかったなあ。
今は自由に会いに来てくれているだろうけれども。
私が生まれる前にはスピッツ飼っていたらしいから、犬も好きだったろうなあ。
まだまだ、たくさん話をしたかった。
最近はよく夢にも出て来てくれるから、そこでたくさん話そう。
ありがとう。
私
正直、私みたいな娘がいたら嫌だけど

それを育ててくれたこと。
入院してた時も、近いのにあんまり行けなかったこと
今でも後悔しています。
ちびうづの世話してた。
そんなちびも、立派におばあちゃんだよ。
すごい写真嫌いだから、本当はもっと可愛いよ。
うづも、そのうち見送ることになるから
フレブルお友達で、最近息子ちゃんを亡くしたパパが教えてくれた本を買いました。
これから読む。
うづもおばあちゃんだから、ペットロスに備えないと思いまして。
人間も輪廻で動いていて、立場を変えつつ修行していくらしいから(これはこの本以外の説です。まだ読んでいないので。)
仏教の考え方ですね。
私もまた、お母さんに会えるだろうし
うづがいつかいなくなっても
また会えると信じています。
スピリチュアルな話になるけれど、繋がっている命は
またいつか会えるよね。

私は、そう思って生きていく。
まだまだ母には心配かける生き方でごめんなんだけれども。
あとどのくらい寿命があるのか分かりませんが、後悔なく一生懸命生きていきたいと思っています。
母に恥じぬよう。
基本的に、うづの一生を見守れるようにね。
なんか、ありがたいけど
長生きしてくれそうなので、うづが生きている間は元気にいたいと思っています。