しつこくすみませんが、その最後の記事にしたいかと思います。
まあ、たまに登場するやもしれませんが
お時間ありますればお付き合いくださいませ。
とても長い話になりますことをお詫びいたします。
自分の備忘録のようなものです。
父・啓一 73歳没。
早くも遅くもなく、お年頃だったかなと。
【イントロ:破天荒な生前と不思議な日付の一致】
生前…
正しくは、母が亡くなる8年前から破天荒な日々を繰り広げてくれた父。
母が意識無くなる前日に、酔っぱらってチャリでコケて救急搬送。
警察からの電話で、「え!そっち?(葬儀)」
と思ったことは今でも忘れられません。
母もかなり危ない状況であたふたしていたところの連絡に、かなりパニクりました。
とりあえずは生還し、後も色々してくださいましたが。
その事件が、父が亡くなった日付の翌日。
つまり、丸8年後にキュっと誰にも迷惑かけずに逝きました。
あまりにもぴったりした日付。
びっくりしましたが、それはお空の方が
「お前はもう少し此岸で勉強しなさい!」と考えたのかな?
私たちは、母に
「もういでしょう。こっちに来なさい」
と引っ張られたのではないかと思っています。
今思うと
「おまけの8年だったんだね」
と思います。
長いおまけだったな。(笑)
実際、此岸で色々してくれました。(^^;)
そして、私たちの年代によくある不安として、今後の介護問題とかどうなるのかなとか
そういうことももちろん考えていた矢先の出来事でした。
でも、そういう心配も面倒もかけず
コロリと逝ってくれたこと
不謹慎ですが、ありがとうと思います。
母も生きていた頃、まだ両親ともに若くて随分前の話ですが
うちは2人姉妹、家を継ぐどうこうという話をなんとなくしたことがありました。
その時に父が
「俺たちは何かあれば、養老院(今だと介護施設ですが)にでも入ればいいんだからお前たちは気にする必要ない」キリッ

と言っていました。
実際蓄えていたのは母なんですけども。(父、浪費家(^^;))
実際は、2人ともそこに入ることもなく
いっそ鮮やかなくらいすっきりと逝きました。
母は入退院を繰り返して大変でしたが、周りには迷惑かけてないし。
最後はオトコマエだったね。父。
私は、父とも母とも性格が似過ぎていて
じっくりと向き合うことが出来ず、後悔はたんまりあります。
「たられば」ばかり、どちらが亡くなった後も考えます。
母は、娘の私が言うのもなんですが
すごく人格者で、本人はそうは思っていなかったようですが
周りの人をとても大切にして、自分にも家族にも厳しくストイックな人でした。
母の葬儀は、とてもたくさんの方に来ていただき
その誰もが「お母さんにはお世話になった」と言ってくださいました。
定年から6年も経っていましたが、会社関係やご友人
本当にたくさんの方に来ていただいて、母はすごかったのだなと改めて思ったものです。
会葬御礼の品が足りなくなったほどに。
そして、当時初めての葬儀仕切りで
受付とかは自分たちがすればいいのだなと思っていたら
遺族は出来ませんと聞いて(後で考えたらそうなんですが)
あたふたしていたところ、快く引き受けてくれた幼馴染
啓一(偶然にも父と同じ名前)と麻子には、本当に感謝でした。
啓ちゃんは、お休みとってくれて泣きました。
父と母には、私たちには分からない
大変な時期や出来事もあったことでしょう。
父が、母の亡くなった後にハジけてしまったのも
寂しさ故かと、今なら思えます。
**********
【現世から彼岸へ】
さて、すごく前置きが長かったのですが
そんな父も、月曜日に母の眠る菩提寺のお墓に眠ります。
49日が祭日というのもミラクルかな。
成人が旅立つ日に、現世から彼岸へと旅立ちます。
好奇心旺盛な父は、彼岸前の48日
恐らく此の世のあちこちの見たかった興味のあることを飛び回って忙しかったのではないかな?
まだ気持ちが複雑でなんだかごちゃごちゃしているけれども
育ててくれてありがとう。
保育園(共働きだったので)の送り迎えも少ししてくれてたような気がする。(写真あったから)
交通博物館も何度も連れて行ってくれたね、秋葉原の訳の分からないパーツ屋も(妹曰く:休日くらい娘と遊べと言われて、大好きな秋葉原に連れて行った結果かと)
お陰で交通博物館に放し飼いにされて、ご機嫌だったけど今なら放置子だぞ。(笑)
気にしてないし、結構楽しく過ごして
父の血を引いたせいか、1人遊びもお酒も得意だよ。(^^;)
彼岸に行ったら、恐らく・・・いや確実に
母にこってりお説教されると思うけど
それも懐かしくていいでしょ?
ということで、彼岸への旅立ちを見守って来ますね。
以下。更に余談ですみません。
【さて現世】
「うつしよ」と書きましたが、それは神道の言葉のようです。
ただ、仏教にも「前世」「現世(げんせ)」「来世」とありますから、さほど変わらないのではと
信心の浅い私の考えです。
神道と仏教の違い…
これは調べたわけではありませんが、私の敬愛する漫画家さん
鴨居まさねさんが書いていた作品で、ああ!そっかと思ったので
気になる方は、SWEETデリバリーを是非に!
この解釈はすごく納得しました。
マンガ読まないと分かんないけど、すごくいい解釈なんです。
ざっくり言うと、神道は周りにふわふわ魂が浮いてる感じで
仏教は遠く(あの世)にいるっていうような感じでした。
現世
仏教だと穢れ世・・・修行の場と言うようです。
確かに、現世は辛いことも多く「早く極楽逝きたい」ってこともあるかもしれません。
父は、8年前に逝ってもおかしくない状況だったのを
土俵際で居残ったのは修行が足りなかったのか?とかね。
どうなのか分かりませんが、次は何に生まれ変わるんだろうね。
(仏教的に修行が足りないと何度も生まれ変わるらしいです)
がんばれ。輪廻転生!
【さて、現世の私】
全く信心のない私たち姉妹ですが、何とか弔いミッションもがんばれるかと
そんな感じ。
母が亡くなった年は、相方と一緒に住み始めました。
相方が実家と母の病院の立地を考えてくれていたことは、後に知りました。
そして、うづが来ました。
そして、その年の暮れに母が亡くなりました。
激動の2007年だったなあ。
そして、2015年
大好きだった友達BUNさんが、まさかの彼岸逝き。
心も声もでかくて、相方のバンドをいつも応援してくれたナイスガイ。
自身も素晴らしいプレイヤー。
すごくショックで、ごめん。父よりもショックな出来事だったかも。(^^;)
職場の立場も変わり、考え方も変わった!
これはぼんやりしてる私には良かったと思います。
相変わらず薄給だけど、仕事好きだからいいや。
で、父の死と元同僚の死。
元同僚、何年も一緒で意地悪なミー(ムーミン谷の)みたいな人だったけども
たった51歳で亡くなって、本当に意地悪だよって思った。
そんな2015年。
健康のこと考えるようになった。
うづは、もう犬種として老齢になっているので
2年くらい前から気を付けてはいたけど
人間のこと、相方や私の健康を考えるようになりました。
こういうことでもないと、あんまり考えずにいたかもと。
とりあえず、迷惑かけないように健康には気を付けないとなと。
あとは、やれることやろう。
まだ定まってはいないけど、もっと勉強しないと!と
ニュースで加藤一二三:九段(76)を見て、「昔より、今のほうが勉強している」
と聞いたからかな。
実際30歳も上の偉人、九段ってすぎょいんですよ。将棋分かんないけど。
がまだまだ学んでいるというのは
「お前さぼってるだろ、足りないんだよ」
って言われてないけど、言われている気がしました。
確かに漫然としてた!
なので、激動の流れを自分のモノとしよう!
これから学びます。なにかを(^^;)
ホント、いい年して目標も定まらず情けないことです。
今からでもがんばる!なにか!
(ああ、情けないことよ)
【父に捧ぐ曲 2つ】
相方が参加していた「Plastic soul band」という、大好きなバンドがありまして
惜しくも5年ほど前に解散してしまったのですが
今の気持ちにぴったりだったので、歌詞を掲載させていただきます。
残念ながら動画はありませんが。(掲載許可もらいました)
(これを書いたkyokoはすごいと思う。
kyokoの歌も歌詞も素晴らしかった。)
「Wondering」
川を渡る 川を渡る 流れてゆく
昨日そばに居た君の事忘れてゆく
小さなボートはただ運んでゆく
ゆらり 波間をゆらり
真夜中のお月様見つめている
ゆらり ため息ひとつ
川を渡る 川を渡る 流れてゆく
昨日そばに居た君のこと忘れてゆく
ちりばめたパズルを拾い集め
最後のひとつをあわせて
小さなボートはただ運んでゆく
ゆらり 波間をゆらり
川を渡る 川を渡る 流れてゆく
昨日そばに居た君の事忘れてゆく
川を渡る 川を渡る 流れてゆく
昨日そばに居た君の事忘れてゆく
誰もが 同じ定めを 手繰る
ゆっくり土に返る それだけ
それだけ ただつなぐ
**** おわり
※ 誰もが 同じ定めを 手繰る
ゆっくり土に返る それだけ
それだけ ただつなぐ
これが、今の私にはブッダの教えのように聞こえるし
まさに生き物の真理だと思うんですよね、
あ、ホントに宗教に詳しくなくて、手塚先生の「ブッダ」と
「聖 おにいさん」の知識で邪道なんですみません。(^^;)
そして、もう1曲。
ギターのKNGが亡くなったお父さんに作った曲
「さよなら」
見慣れた街に さよなら
いつもの君に さよなら さよなら
僕はなにひとつ もってない
僕はなんにも もってない なにひとつ
さよなら さよなら
また いつかどこかで 会える日まで
さよなら
ふわふわ浮かんで さよなら
手をふりながら さよなら さよなら
みんな楽しそう 笑ってる
水面に輝き 光ってる わらってる
さよなら さよなら
また いつかどこかで 会えるはずさ
さよなら
さよなら さよなら
また いつかどこかで 会える日まで さよなら
会えるはずさ・・・ さよなら
またいつか会おうね。父。
ホントに上手く付き合えなかったけども、うづと遊んでくれてありがとう。
またね。



最後に見付かった写真は
どう見ても、水木しげる大先生みたいな不敵笑み。
私はこれが、1番父らしくて好きですが。