東京大パニック。 | ぐるぐるうづまき。

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フレブルのうづまき、ときどきごはん。のんびりいきましょう。

地震。怖かったですね。

おそらく42年生きてきて、こんなにデカイ地震を体験したのは
初めてだと思います。

私もうづも無事でおります。
相方は、動き始めた電車で帰ってくるところです。
(でも、うちの方の電車は止まっているため、おそらく途中から徒歩。)

なぜか、このタイミングで相方のバイクが故障していたのは
今回痛いところでした。



帰ってくるの大変だったー。ショック!


私は、板橋区という
東京でも埼玉寄りの遠いところまで、電車で1時間半かけて通っています。
(ちなみに我が家は、神奈川寄りの東京)

当然のように、都内は全ての電車が不通。
首都高全面封鎖。


でも、ヒトリでお留守番しているうづがどうしているか。
ケガなどしていないか。
心配で心配でなりません。
とにかく、なんとしてでも帰らねば。
母は決意をしました。

まず、会社から池袋行きのバスに乗ります。
バスも臨時運行していたようですが、それでも30分以上は待ったと思います。

そして、渋滞などで1時間半ほどかかりつつも池袋に到着。
どんだけ走っても板橋を脱出しないので

「まさか、板橋循環バスではあるまいな?」

と不安になるほどでした。

走れど走れど「板橋」から抜けられない。
「板橋地獄」です。

ちゃんと池袋に到着しました。

この時は、同僚と2人でおりましたが
池袋駅は、当然のように封鎖。
入ることも叶いません。

シャッターが下りてます。

ぐるぐるうづまき。-DVC00310.jpg

池袋のマルイはシャッターを下ろしています。
駅前のマクドも閉店しています。

たくさんの人が、駅とは逆方向に歩いています。



「これは、歩くしかあるまい」


同僚とハラをくくって、お巡りさんに新宿までの道を尋ねると

「歩かれますか…」
(鎮痛な面持ち+ため息混じり)

と言いつつ、道を教えてくださいました。

その後いかにも野次馬なおっさんに

「新宿?1時間半くらいかかるよ。遠いよ!」

とニヤニヤ顔で言われて、若干の殺意が芽生えましたが
まあ、歩かないと帰れませんから
野次馬はスルーして、教えられた道を歩きました。

途中、携帯の地図アプリで確認しながら歩き

中井駅付近で、同僚と別れました。

2人の時は、心強かったけど
ココからは、孤独と疲労との戦いです。

でも、周りにもたくさんの人が
家に帰るために歩いています。

それこそ、諦めて飲んだりしてもいいんだろうけど
みんな「愛」のために歩いているように見えました。
家族のために、家族に会うために。

私も、うづのことをひたすら思い続けながら
ヒトリおうちで震えているかもしれない
もしかすると、ケガをしているかもしれないと
心配をしながら、ひたすら歩きました。

山手通り~方南通り~豊玉水道道路

何度も挫けそうになりながら
空腹でクラクラしながらも

不安であるに違いないうづのことを思うと
早足になり、コンビニに立ち寄ることもせず
黙々と歩きました。


ちなみにコンビニのおにぎりコーナーは
外から見た感じですが、空っぽでした。
まさにパンデミック。

足の裏の感覚がおかしくなり
膝がガクガクして、そのうちまっすぐ歩くのもツライくらいになりました。

空車のタクシーもいないし
歩くしかありません。


中野区に入ってからは
歩いても歩いても「中野」の「中野地獄」

杉並区の看板を見た時には、涙が出そうでした。

でも、その後は「杉並地獄」
杉並区もデカイんですわ。意外と。

地図アプリのお陰と、普段相方のバイクの後ろに乗って
道を覚えていたお陰で、迷子になることもなく
ひたすら最短距離で帰りました。

井の頭線の踏切は故障しており、閉まって警報が鳴りぱなし。

生まれて初めて、閉まる踏切を超えて横断しました。

京王線桜上水の、いつも閉まりっぱなしな踏切が
静かに開きっぱなしになっていました。

知らないところから、だんだんと知っている
バイクで通ったことのある
見たことのある景色を発見した時には感動しました。
またも、うっすらと涙が。

環七を越えて、豊玉水道道路辺りは
もうすごく知っている道なので、その距離がどんだけ長いか知っていても
知らない道を歩いているよりも、すごく心強い。

ぐるぐるうづまき。-DVC00311.jpg

途中の甲州街道横断時、上下線ともに車がびっしり渋滞。
どちらの歩道も、人がびっしり歩いていました。
この道は、普段そんなにたくさんの歩行者がいるところではありませんが
川の流れのように、人が流れていました。

写真撮ってるくらいの余裕はあった私。あせる

豊玉水道道路は、住宅街なので
他の道よりも静かでしたが、それでも歩いている人がチラホラ。

みんながんばってる。
私もがんばろう。

なによりも、早くうづに会いたい。

疲れもMAXだけど、歩みを早めます。

環八が見えたときは、またも感動。

環八が見えたら、うちまでは屁みたいなものです。
あと20分も歩けば我が家です。

20分なんて、今までの距離に比べたら
なんてことないです。

元気出てきました。
足は、笑いっぱなしでしたが。

家に続く商店街に入った瞬間、ホッとしつつも
うづを見るまでは安心出来ません。

家に着き、うづのケージを見ると…

いた。ドキドキ

いつものお留守番の時と同じ顔で、こっちを見てる。

慌ててケージから出してみると、いつもどおりの元気さ。

ケガもなくてなにより。

一応、ケージ付近にはなにも倒れないようにはしているものの
なにがどう飛んで来るか分からないし
本当に心配だった。

でも、我が家は奇跡的に被害もなく
雑誌が落ちて、食器棚の下の方の扉がうっすら開いているくらい。

実は、相方が神戸の震災経験者なので
地震に対する危機管理はカンペキなのです。

食器棚の上の段や、天袋には地震で開かないようなブツを仕込んであるし。

不思議だったのは、CDひとつ落ちてなかったことですかねえ。
うちは、互いに山のようにCDがあるんですけど。

アパートや地盤も、しっかりしたところを選んでいるからでしょうか。


しかし、疲れた。

総歩行距離、16キロ強。
3時間ぶっ通しで早歩き。


家に帰ったら、膝がガクガクでトイレに行くのもしんどい。


でも、改めて生きていることの尊さをかみしめた。

阪神の震災みたいに、被災地ではないから
道や建物が崩壊したりはしていない。

余震はまだまだ続いています。
被災地三陸沖の方々は、眠れない夜を過ごしておられることと思います。

また、都内でも帰宅難民になっている方々も多いことでしょう。

被害が広がりませんように。
そして、1秒でも早く
ご家族と対面出来ますよう。


しかし、池袋から歩けるなんて
夢にも思いませんでした。

うづがいなければ、どうせ帰れないしって
どこかでクダを巻きながら飲んでたのかもしれません。

もう二度と歩きたくない距離ですが
無事に帰れて、うづのぬくもりを感じることが出来て
本当によかったです。

相方も、無事帰れますように。


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