柳井にっぽん晴れ街道協議会ウォーキング | 三浦清隆のブログ

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5月18日(土) 今回は、「新庄の長溝をたどる」約8㎞のウオークです。

新庄の長溝とは、柳井市柳井櫨(はぜ)ヶ谷、黒杭川(柳井川)支流の一の井出(取水口)を起点とし、新庄を経由して、余田堀に至る灌漑用水路です。

新庄第4代庄屋の岩政次郎右衛門(1656〜1736)[明暦2〜享保21]は、父与左衛門の悲願を聞いて長溝の築造を企画しました。

岩国領主吉川(きっかわ)公に願い出て、3か年の歳月を要し、1689年(元禄2)に延長7㎞(当時)の長溝を完成させました。それまで干害に悩まされてきた農民は、岩政次郎右衛門を「水の神」とあがめるようになりました。

長溝は、300年以上経った現在でも、多くの区間で使われており、新庄北部と余田堀の水田を潤しています。

毎年8月19日に、岩政次郎右衛門の墓前で長溝祭が行われています。また、毎年5月には、溝さらえ等の作業を欠かすことなく続けています。

柳井駅に10時集合。今回は参加者が多く、男女7名計14名です。いつも通り柳井観光協会と共催と言うことで、観光協会の方が同行されます。

案内はいつも通り、柳井にっぽん晴れ街道協議会の事務局長の岸田さんです。

駅舎内で説明を聞いたのち、駅前の⑤のバス停留所へ移動します。10:11のバスで上馬皿(かみばさら)の菓子乃季(あさひ製菓)前まで来ました。

ここで暫くあさひ製菓さんでトイレ休憩を取ります。お昼ご飯を食べる「やまぐちフラワーランド」まで約2時間トイレが無いので済ませました。


休憩後、菓子乃季の前の県道149号柳井由宇線から、県道70号柳井周東線を北上して黒杭川ダムへときました。

最初の長溝の取水口は川沿いにありましたが、1968年(昭和43)、黒杭ダムの建設に伴いダム湖に沈み、460m上流に移され、用水路もダム横に変わりました。

黒杭川ダムは、治水と洪水を調整するためのもので、これから梅雨を向かえる前に、水量を減らし大雨に備えるそうです。

ダムの横を流れる現在の長溝。この辺りは勾配があるので結構早く流れています。

取水口まで行くと時間が掛かるので、黒杭川ダムの横から下流へと歩きます。

長溝は馬皿から山裾を大きく回って流れていましたが、1945(昭和20)年の台風の被害にあったため、1950(昭和25)年に端口隧道を掘り現在に至っています。

⑥から、やまぐちフラワーランドへと破線が隧道で、点が元々の長溝です。

やまぐちフラワーランド内に隧道が出てます。

ここから、入口横の分水施設へ埋設管で繋がっています。

分水施設。仕切りゲートが対角にあります。


13時前から園内で昼食を取りました。

13時半から午後のウオークに入ります。

正面にバラのハートモニュメントがありました。

やまぐちフラワーランドから出ると、流れは緩やかになっています。

約7㎞の長溝の用水路は5/1000の勾配です。落差5mしかないのです。

前回、岩国竪ヶ浜往還のウォーキングの時に寄った「岩政次郎右衛門奥都城」へ来ました。

岩政家の墓園の中には、顕彰碑1917年(大正5)建立。1928年(昭和3)従五位が贈られた記念に1933年(昭和8)に記念碑が建立。また、記念樹の碑が植樹された1935年(昭和10)に建立されています。

この狭い広場で長溝祭が行われるそうです。

墓園を後にして東へ。

皆さんが立っている道路に、建設当時の水路が通っていたそうで、今ある水路は、やまぐちフラワーランドの分水施設から別れた水路です。

途中にある「多々野古墳」看板にあるように、長溝の1期工事の際に破壊されたようで、当時は古墳だと気が付かなかったようです。


旧長溝用水路は途中から薮になっており、歩くことは出来ないそうで、ここから柳井駅へと柳井川沿いに帰りました。