以前から思っていたことなんだけど、物って必要なくなると自ら壊れてしまう気がする。そろそろ買い替えたいなと思ったりすると、まるでそれを聞いていて、自ら身を引きますみたいな感じで壊れたり、なくなったりするのだ。

先日も長く使っていた手動のコーヒーミルが見事に壊れた。本体部分は木でできていて、ハンドルを回してガリガリと挽く,昔ながらのタイプのものだ。その挽く部分と本体をつないでいる部分がはがれてしまい、そこから挽かれたコーヒーが出てきてしまうようになった。もう長いこと使っていたから寿命なんだろうとは思うけど、引っ越し先では電動のコーヒーミルを使おうかなと思っていたところだったから、すごいタイミングだ。何かごめんねって感じ。

そしてテレビだ。うちのテレビは録画一体型だ。その録画機能が壊れ始めている。あるところの再生をすると突然録画再生が終わってしまって、更に電源オフとかもできなくなってしまう。多分ハードディスクのどこかが壊れちゃったんだろう。他の部分は問題ないので、壊れ始めたところって感じ。

実はテレビの買い替えも検討していて、先日、大きな電気屋さんに見に行ったところだ。お店に行ってみると、液晶テレビと有機ELテレビのどちらを選ぶかという難題が待っていた。沢山並んでいる大きなテレビの前で係のおじさんやお兄ちゃんはリモコンをちゃっちゃと操作しながら淀みなく説明してくれる。でも正直、そこまでの差が私にはわからない。指差してここのブレがないんですよって言われても、どれを見ても私にはブレが見えない。ウーファーが2つ入っていますとか、黒が違いますって言われても、だから何なんだって感じだ。増してや有機ELと小型LEDを使った液晶テレビの構造の違いなんてわかるはずもない。並んで比較されていれば、そりゃ多少の違いはわかるけど、どれもちゃんときれいに見える。それに家に置くのは1つだし、どれを選んでも、10年以上前のテレビに比べればどれでもビックリするような画面の美しさである。だから何を選んでも問題ないはずなのだ。

だけど、お店のおじさんと、一緒に見に行った連れの二人は違う。まったく高機能とか高性能という言葉におやじたちは何であんなに弱いのだろうか。いかに画期的な機能なのかを、係のおやじと連れが左右から言ってくる。両方向から言われた私の頭はパンク寸前である。元祖リケジョと普段偉そうにしている私だけど、(以前にも書いたと思うが、)実は理科はそんなに得意ではない。得意なのは数字だけである。AIが画面情報を操作して、なんて言われても、テレビの内側で光るすごくちっちゃな電球を前に、これまたちっちゃなロボットがせっせと窓を開けたり閉めたりしている光景しか頭に浮かばないという程度のおばさんである。…だいたい、AIとロボット、違うし…。

そんなこんなで進化した家電に感心しながら、来月に使う新幹線の切符を買いに行った。窓口のお兄さんは、今時とはとても思えないアナログチックに紙に手書きされた申込書を片手に、神業的な手の動きでもってこちらの希望の切符の手配をする。お兄さんの仕事はとても緊張感のある仕事だ。手配の切符を間違えちゃいけないし、早さは要求されるし、時々は訳のわからない客を相手にしなければいけない。何でここにはちっちゃなロボットがいないんだろうか。ちょっと不思議である。