こんばんは、まるめろです。

今日は珍しく元気なので、二本立てでお送りします。

 

というか、こういう話って気が向いたときじゃないとするにもできないんですよね。

僕自身も本当は触れたくもないですし、でもどかで発信をする。言葉にして残すことで、救われるときもあります。

ある意味はけ口のようなものなんですが、このブログは去年の受験期に書いた、”強迫性障害との闘い”の裏で実は何があったのか

裏話をしていきたいと思います。

 

すごく個人的な話なので、興味のない人の方が多いかと思いますが、最後までお付き合いいただけたらと思います。

 

 

昨年の11月頃だったかと思います。ブログにしていますね。うつ病、強迫性障害と、精神疾患の話をしつつ、冒頭では死にかけたと話をしています。

 

その死にかけたというのがどのくらいの死にかけだったのか、

 

 

本気で、自殺する寸前まで行っていました。

 

 

水銀を水と一緒に煮沸をして、蒸気として吸うことで、水銀中毒で自殺をしようとしたのですが、あとは鍋に火をつけるところまで進んでいたんですね。

かなり深刻な状態であったことは確かです。

 

自分の命が惜しくないのかとよく聞かれるのですが、本当に死を覚悟した人というのは静かに死んでいくものだと思います。

大々的にSNSでいう人は、心の奥底で誰かに助けを求めているわけですからね。

 

で、僕が何で水銀自殺を選んだかというと、死ぬときに自分なりにルールを決めています。

 

自殺に限った話ですが、僕は、

 

1、体に傷をつけない

 

ようは首切るとか、リスカとかそういう類ですね。リスカは死ねないですけど

 

2、公共交通機関には突っ込まない

 

うん、家族に迷惑かかりますね。遅延が出れば、請求も来ますし。

 

とまぁ、自分なりにルールがあります。

 

1が一番大事ですかね。

あとは死ぬだけというところまで実は追い詰められていたわけなんですが、なんか生きてますね。

 

 

コンロに火をつけるときに、ふと頭に一人の異性が頭をよぎり、その場で泣き崩れました。

 

 

今まで大切にしてきた相手すらも忘れてしまうほど、追い詰められて自殺をしようとしていたわけなので、思い出しだ瞬間というのは、ただただ、申訳ない気持ちでいっぱいになりました。

 

この時初めて異性のいる意味というものを知ったと思います。

本当に大切なものは何なのか、それを考えたときその子の存在は非常に大きかったと言えます。

 

しょうもない理由かもしれませんが、今の僕の命があるのは、その子のおかげです。

これは感謝してもしきれない、僕が生き続けて、償うことでしか、返すことができない大きな借りです。

 

それ以来障害とはずっと向き合ってきましたが、最近では向き合い方も変わりつつあり、自分というものを受け入れつつもあります。

 

 

強迫性障害に限らず、精神疾患を持つ人にしかできない、考え方は視点というものがあります。

 

 

その子に命を救われ、その子のおかげで、自分の病気ときちんと向き合って、見方を変えることもできてと、

 

何から何まで本当に感謝をしても感謝しきれません。

 

 

 

精神疾患を持つものとして、いいパートナーを持つことが最善の改善法であると僕は思います。

もちろん、パートナーに病気のことで迷惑をかけてしまうのはほぼ毎日です。

それでも、見捨てず、しっかりと向き合ってもらうことが精神疾患を持つ人にとっての一番の心の治療法ではないかと思っています。

パートナーの人も、無理に向き合う必要はありません。それでも味方で居続けることというのは非常に大きな意味を持ちます。

 

 

一番つらいのは僕ら精神疾患を持つものです。

パートナーに求めるのは同情ではなく、疾患を持つ者にとって一番信頼ができる相手で居続けてもらうことです。