こんにちは、さくらいめぐみです。

 

 

 

 

 

 

自己否定する頭の声はニセモノ意識!

 

 

このエゴの声が本当の自分だと思い

その声に従わないと、自分が

ダメな人間になるんじゃないか?

人生がもっと悪くなるんじゃないか?

そう思ってエゴに従う。

 

 

そして、そうだと思い込んでいるからこそ

それを助長する出来事や他人の声が

同じ内容で入ってくる。

 

 

そしてやっぱりそうなんだ!

ということになってしまう。

すると、『心の声=本当の自分』は

益々孤独感や悲しみや怒りを

内側から湧かせてくる。

 

 

外の意見を聞いて

エゴの声に従って

心がずっとモヤモヤする。

心の突っ掛かりが溢れて

やっぱり自分はダメだ・・と

結局自己否定から、

その自己否定の矛先を

他人のせいにして攻撃したり。

 

 

 

これがエゴの分裂意識から

自分ともっと逸れる理由です。

 

 

 

 

 エゴの声に従うべきではない!




この声に惑わされ続け

自分を失い続けると

外側の賑やかしの

流行や時代の流れや

今の常識に必死に

付いていかないと

自分に価値がないと

勘違いしたまま

どんどん自分じゃない

バケモノになってしまう。






私たちの心には本当の自分がいる!




私たちの心の中には

本当の私たちの存在がいて

それが神さま(心・宇宙)です。




神さまが本当の私たちの存在で

それは宇宙そのものです。

全てに広がる広大な宇宙が

私たちの本当の姿です。

〝それは〟私たちの

どんな側面も愛し切っている。

常に愛を送っていて応援している。





この心の存在は、

愛で宇宙で神さまです!






私たちは常に愛されてるんだよ。

そのままで大丈夫なんだよ!

常に愛されていて、

常に応援されていて

どんなあなたも愛されている。





そう聞くと、すごく嬉しいし

自分にもそんな存在がいたんだ!

ときっと安堵するでしょう😊






ですが、現実が変わらない人が

陥ってしまう原因は、この

自分が何者かを知った後に

徐々に現象化されていきます。

それが何かと言うと、






頭のエゴの声が

邪魔をするばっかりに

いくら宇宙と言う

本当の自分の存在を

知ったとしても

現実が愛されてる

愛で溢れている

どんな自分も愛おしい

それが幻想なのか?と

思うようなことばかり

起こってしまうわけです!









私が神さまで、エゴを手放し、愛を創造する!




結局、エゴ(思考)の声に

左右されてしまい

本当の安堵感や愛を

一瞬のまどろみにしちゃう。





でも本当は、その愛の中で

そのまどろみの中で

生き続けるべきなんですよ!

心地良くて気分が良い二重丸





いくら宇宙がYES!と言っても

自分自身がエゴの声に従って

自分自身に対する見方が

何も変わっていないと

無意識に自分を責めています。






これが自己否定の怖いところで

自分は宇宙から許されてるから

何しても良いんだ!!

もっと強気に自己肯定して良いんだ!

そう思って外側でそうした振る舞いを

他人に見せつける様にすると

たちまち非難されたりとか

否定されてしまうんですよね。

とか頭のエゴの声が

自己否定をしてくる訳です。

そうしてまた殻にこもる。

そして他者を恨むわけです!





怒りの矛先を消化できない

虚しさが、他者に向く。

勝手にエゴの思考が

他者に向いて、自分を守ろうと

必死になりますが、

そもそも自分を否定しているのは

自分自身の頭のエゴ意識です。






宇宙がどれだけ愛していても

こちら側の自分が、

自分自身を非難していたら

元も子もないですよね。

こちら側の自分も、

宇宙と同じ視点で

自分自身を差別せず

認めてあげること。






劣等感から、自己受容は

少し難しいかもしれませんし

そもそもエゴの執着が強くて

理想や成功に固執していると

今と理想のギャップに耐えれず

到底、ありのままを許せない。






だからまた鞭で自分を叩く。





ですが、それは何の意味もありません。





エゴの理想や成功への執着

何かにならなきゃいけない





↑これ自体が幻想だからです!





私たちは、それぞれに

今あるもので、それで完璧だ!

それを認めるのが怖いわけです。






なぜなら、その幻想を

起こしているエゴは、


自分(エゴ)が存在出来るのは

個を意識できる状態。

つまり、自分と他者

善と悪、優と劣

比較して対立して分裂する。


そして自分と言うものを

自覚できる状態に保つこと。

分裂するから苦しいし

争うから苦しいわけです。

善悪、良い悪いがあるから

混乱するし心地悪い訳です。







そもそも、

何かになろうなんておかしく

そもそも、

幸せになろうなんてのもおかしい






普通でいれば

それが既に

幸せなんです。




幸せの定義が

沢山あります。

でも、

何もない

普通が幸せ。




それを付加価値や

もっともっとと渇望して

あたかも、幸せじゃないかのように

何かに必死に執着していくことは

ずっと何かを追いかけて、

ずっと渇望感を感じているのは

苦しさでしかありません。







周りを見て、もっともっとと

追求し続けても虚しく苦痛で

それらが手に入らない自分は

価値が低いなどと思うのは

かなりの末期症状です。





知らず知らずのうちに

所有欲や成功欲に駆られ

躍起になるのは、

シンプルでありのままの

自分自身を責めてるせいです。





そんなんじゃ負ける!とか

そのままじゃヤバイ!とか

何かスゴイモノを必死に

追いかけ続けるのは

ずっと戦っていないとならない。





人生ってそうじゃないんです。

今のままで幸せだと認めれば

苦しみや虚しさから解放されるし

世間の理想と自分の在り方を

比較したら辛いんです。






自分らしく、

まず自分を受け入れて

自分を認められるのは

自分しかいないんです。








さくらいめぐみハート