僕は「バナナ」に目がない。

まるごとバナナ」とか、よく買う。

カフェでバナナスイーツとか見るとテンションが飛び跳ね、反射的に「これだ!」と決定している。


さて、「反射的」ってどんな状態だろう。はてなマーク


鏡の反射は分かりやすい。光がはね返っている状態だ。

脚気(かっけ)の検査も反射だ。脊椎反射というやつだ。

でも、バナナスイーツを注文するのは脊椎反射ではない(そりゃそうだガーン)。



僕のバイブル「7つの習慣」という本の中に、"人間は刺激と反応の間に「選択の自由」を持っている」"という言葉がある。
○○とデザイン [ toDESIGN ]-選択の自由

この時「選択の自由のスペース」は、その時の状況や、人それぞれで違うだろう。

しかし、何らかの要因で、反応の信頼性を損なわないままに、「選択の自由のスペース」が限りなく短くなることがあるのではないか?

そして、その状態を「反射的」と呼んでいるのではないか?

○○とデザイン [ toDESIGN ]-反射的


普通の人は「バナナ → バナナってこんな味だったよなー → よし食べよう」だが、僕の場合は「バナナ → 食べる」なのだ。

それはきっと「バナナはとてもうまい」心だよ、という強い回路が僕の頭に出来ているからだろう。

つまり、僕の中では「バナナは審査するまでもないエリート」なのだ。


マーケティングでいう「ポジショニング」に近い話かもしれないが、消費者の頭の中の「反射的エリート達」の仲間入りが出来れば、製品でもサービスでも、もっと売れるのかもしれない。

ちなみに、以前の記事(「戦略PR」とデザイン)で出てきた「カジュアル世論」も、選択の自由の時間をじわじわと短くしているに違いない。


ああ、、、僕の頭の中のフルーツ部門には「王座バナナ」が君臨しているのか、、、シラー



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