今日地震があってから一週間。

テレビでは2時46分の時、東北方達が黙祷をしている時に

まるもやりました。

地震が起きるまえまで、

まさか、日本がこうなると、思わなかった。


でもみんなでまた

頑張らなくては・・・。


地震も原発も怖いし

テレビ見てると心が痛い。



それでも・・・

頑張らなくては・・・。


日本の未来の為に・・・



こん記事がありました↓




【大津波から生還、原発から退避…「でも生きる」】


東日本巨大地震で、宮城県多賀城市内で大津波に襲われながら、生還した男性がいた。

 福島県南相馬市の運送会社員(40)。ワイヤにしがみついて津波の衝撃に耐え、18時間も冷たい水につかりながら助かった。しかし、ようやく戻った自宅で待っていたのは、東京電力福島第一原子力発電所のトラブルによる避難生活だった。次々に降りかかる災難。「津波と原発の二重苦だ。それでも生きていかなければ」。会社員は、そう心に決めている。


 「ゴー」。11日午後3時20分頃、仙台港で、運んできた荷物をトレーラーから下ろした直後、会社員の耳に地鳴りのような音が響いた。海の方を振り返ると、数百メートル先に津波が見える。高さ約10メートル、壁のような波の上で、コンテナや車がクルクルと回転していた。


 「少しでも高いところに逃げないと」。とっさに、近くに並んで止まっていたトレーラーの中で一番高い荷台に飛び乗った。運転席近くに張ってあった鉄製ワイヤにしがみつく。すぐにたたきつけるような波が襲ってきた。「ダメかもしれない」。何度も流されそうになりながら、ちぎれそうになる指に力を込めて体を支えた。


 「助けてくれー」。隣のトレーラーが横転し、荷台にいた同僚が叫び声を上げながら水にのみ込まれた。津波が過ぎ去っても、首から下は水につかったまま。周りを見渡すと、周囲の建物は消え、残骸となった立体駐車場だけが残っていた。


 日が暮れた。上空から自衛隊のヘリコプターのサーチライトが付近を照らす。凍えて体に力が入らない。何とか片手を振ったが、気付いてもらえない。余震の度に水面が揺れ、近くで起きたコンビナート火災の「ボン」という不気味な音が暗闇に響いていた。


 その時だった。「死ぬんじゃねえぞー」。流されたはずの同僚の声が遠くで聞こえた。同僚は救助され、少し離れた倉庫2階に避難していた。「大丈夫だ」。大声で返す。寒さで意識を失いそうになるたび同僚の励ましの声が聞こえ、気持ちを奮い立たせた。「妻子を残して死ねない」。自分に言い聞かせ、耐えた。


 長い夜が明けると、少しずつ水が引いていった。午前10時頃、荷台から下り、水の中をがれきに足を取られながら40分かけて移動し、同僚らのいる倉庫に引き上げられた。


 その日、同僚の車で約4時間かけて南相馬市の会社にたどり着いた。心配して社に駆けつけていた妻(36)、長男(10)、長女(2)と抱き合った。自宅は無事という。涙が止まらなかった。「生きていることが自分でも信じられない。こんなことがあるんだと思った」


 必死の思いで戻った我が家。だが、「奇跡の生還」から2日後の14日、福島第一原発3号機で爆発が起きた。足は凍傷になっており、医師からは入院を勧められたが、家族と避難することを決めた。「放射能が広がったら危ない。家族を守らないと」


 福島市で避難所暮らしが始まった。原発の脅威は増すが、ガソリンが足りず移動手段もない。つらい生活は続く。だが、前を向いて生きようと決めている。「命があって家族といられればそれでいい。みんなで苦しみを乗り越えたい」