先日…
降りたホームの反対側の
ホームに、母が子を殴ってて、
子が泣き叫んでいたのを見た。

それを見て、自分の昔を思い出してしまった。


辛かった過去を思い出さないように、
まるの脳は過去を思い出さないように、出
来ているつもりだったが、無理だった苦笑


まるは、殴られながら育ちました。 
多分皆様の想像を遥かに超えた殴られ様です。

毎日。

布団叩きやハンガーや傘…
痣は勿論、血だってしょっちゅう…
学校には、傷や痣を隠す為に包帯とか巻いて。

高校の時には、一度だけ
殴られすぎて、気を失いました。

そうです。母さんです。
たった一人の肉親。

今も当時もわかっていました。それが母さんの
愛情の表現なのかもしれない!ってね。


母と娘、二人家族でした。

皆様もご存知の通り
母さんは華人。
今のまるくらいの歳に、いろんな国を転々とし、
日本にやってきました。

そして未婚の子として
まるが産まれました。

あまり望まれて
産まれた子供ではありませんでした。

それからすぐにまるは、
台湾に預けられ、
五歳の時に母さんが迎えにきてくれました。

「私がお母さんよ」
と言われた時…
は?誰?って思ったのを、覚えてます(笑)

母さんは私の為に
一人日本に残り、めっちゃ働いていたと聞きました。
日本語も解らないのに
幼稚園にいかされた時には、母さんを 
このおばさん悪魔だ…って思ったのも覚えています(笑)

それから母さんとの生活がはじまりました。

うちの母方の親戚達は
名字⇒「王」です。 
「王家」では、殴って教育するのが、普通でした。
その中でも、うちの母さんが一番ひどかったです苦笑
いくら、王家では普通でも、まるはしんどかったなぁ~。

でも母さんは、まるが言うのもあれだけど、
本当に不幸な人でした…

再婚を繰り返し 
騙されたり…日本に友達も居なくて…
そのせいて、酒に溺れ…
しかも、ちょー酒乱。

日本に来て不幸になった母さんは、酔うと
「日本人きたなーーい」と叫び、
暴れ、壊し、ひどかったです。

毎月、パトカーで連れていかれ、
それを見送る幼いまるを近所の人が、
毎回こそこそしていました。

近所の人は勿論、 
大人達は、誰も助けてくれませんでした。

酒乱の母さんは店で酔うと必ず、暴れくるい、
窓を割り、日本人に喧嘩をふっか
けました。
その時まるは、ずっと横で…
泣いていました。

当たり前だけど…
近くに居た大人達は
誰も助けてくれませんでした。

幼心にして「大人って野郎は冷たいな~」って。

一番大人って冷たいな~
って思ったのが、 
母さんは何回も再婚していたから、子供のまるは、
ついて行かないと行けないから、嘘の父親やきょうだいができる。

(母さんが再婚した家族の中で本当の家族だと
思っているのは、15年前に死んだ姉と今の父親だけですはーと)

一番大人って冷たいなぁ~って思ったのが、

その嘘の家族の中、母さんは変わらず

まるを殴っていたが、それを嘘の父親とか嘘の家族達は

見てみぬふりでした。

いろいろ思い出してきちゃうから、

もうこの話しは、またいつの日か。苦笑

なんかここまでの文章みていたら、

完璧、母さんが悪者になってしまいましたので、

そろそろフォローします。笑

よくまわりに「よくグレナカッタね?」と言われます。

多分…父親や、きょうだいや、親戚達が日本に居たら、

ぐれていました。笑

母さんには、まるしか居なかったし、

そしてまるにも、母さんしか居ませんでした。

たしかに母さんには沢山殴られました。

でもそれ以上に、まるを守ってくれました。

再婚が多かったので、転校も多くて

片親で、母さんが外国人で、まる自信も

日本語下手だったので

学校でよく虐められました。

その度に母さんは守ってくれました。

そして何よりも一番の思い出?は、

まるがプロレス入門して、練習や縦社会や試合や雑用で、

チョー泣いて、母さんに電話して

「もうやめようかな・・・」って言った時

母さんに「帰っておいで…」と言われたときでした。

この言葉があったから、やめずにプロレスやれました。

あぁ、自分にも帰れる場所があるんだな~と

思って、もう一回

頑張ろうと思いました。