少し前の話だけど、この間の夏休みに3年ぶりに実家に行ったら、また兄の本や漫画が無くなっていた。


処分したのは父だ。理由を聞けば、「気持ち悪いし、孫たちが怖がっているから」と言った。


確かにグロかったりエロかったり残酷だったりする内容で、小さな子供に見せる内容ではないが、そういうものを面白いと思う感覚が私と兄は似ていたから、私にとっても大切で、いずれは持って帰りたかったものだった。


結局残ったのは、定番の誰もが絶賛する漫画家の作品や父好みの品行方正な内容のものばかり。


父にとっての兄は、父が選んで残した兄の遺品のような人間で、グロかったり残酷なものを好む人であってはいけなかったのだと思う。


だから、勝手に遺品を捨ててしまう事にも、死んでからも兄の思考や嗜好に理解を示さないで、自分の理想を押し付ける父に腹が立って泣いた。


でも、今このブログを書いている間に、それが父にとっての気持ちの整理の付け方なのだと思い直してた。


 亡くなった人がどんな人だったかというのは、実際に何が好きで、何を思っていて、何が出来て、出来なくて、どんな生活をしていたかという事よりも、残った人間それぞれが、その人の事をとう思っていたか、その人のどこを好きだったか、どう生きて欲しかったか、というところで認識が違ってくるように思う。


 私が知っている兄は、映画が好きで、休みの日も、毎月一日の映画の日には必ず映画を観に行っていた。

 昔から歴史も政治も好きで、子供の頃は兄に聞けば何でも答えてくれたし、自分の考えがきちんとある人で、曖昧なことを言わなかった。

 コリアンアイドルブームが日本に来る随分前から気に入っていて、韓流ブームのときは「僕のほうが先だった。」とちょっと鼻をたかくしていた。

 お酒に弱くて、飲み会に行くのも嫌いで、付き合いで行くこともあまりなかった。酒飲みが嫌いで、内心バカにしていた。サーファーも嫌いだったし、今で言えばいわゆる『陰キャ』なのかな。

 昔から、少しだけ、常に自殺願望があった。

こうして文字で書いてみれば、ただのオタクだけど、これら全部を含めて兄のことが好きだったし尊敬していた。

 

 それが父の思う兄と違っていても、兄に違いなくて、間違いでも思い違いでもない。父の思う兄も、それは父にとっての兄なのだ。亡くなって、実態が無くってしまった兄は、私達家族の気持ちの中でだけ生きているのだから。