このブログを始めるにあたって、先ず兄のことを過去から整理しながら書きたいと思ったわけだけど、いざ書こうとすると、なかなか文章が浮かばなかった。普段、兄のことを思っているときは、つらつらと取り留めもなく考えが浮かぶのに。なので今日は、直近の十七回忌で思った事を書いておきたいと思う。


 今月10日に兄の十七回忌の法要をした。七回忌までは親戚を皆呼んで、食事会もして、盛大に、というのは表現としてあってないと思うが、大勢いて賑やかだなぁと、思ったものだ。伯父伯母も高齢ではあったけれど、遠方から新幹線に乗ったり、在来線を乗り継いだりする位平気だった。夜は、父方の兄姉が泊まったホテルの一室に全員集合して、子供の頃の思い出話をして……主役である我が兄の話は殆ど出てこなかったけど……こうして高齢の兄弟姉妹が楽しい時を過ごす『縁』を兄がくれたのだと思えば、ありがとうと、感謝の気持を持ったものだ。


それから十年、皆、その当時より輪をかけて老人になって、その内の三人が亡くなって、一人が老人施設に入って、元気にしていても遠出は勿論、普通に外出するのさえ難しい状況になった。

まぁ、十七回忌ともなるとやらないことも多いし、家族だけで出来ただけで十分だから、良いのだけど、やはり親戚の老いを感じるとさみしく思う。

因みに、十三回忌も家族だけでの法要だった。でも、伯父が一人亡くったけれど、皆、それなりに元気だった事を思い出す。子供の成長が著しい様に、老いも著しい。中年の私達とは違って、一年前に出来た事が出来なくなっている。だから、十三回忌の後の四年も大きな変化の四年だった。



 そういう訳で、今回は両親と、我が家が三人(長女は部活)の五人でお寺で法要をして、納骨堂にお参りして。帰宅後には長女も合流して、簡単な食事会をした。兄の事は話に上らなかった。子供たちの学校の事、友達の事、先生の事、部活の事……これから生きて育っていく二人の話に、大人たちは耳を傾けた。それで良いのだと思った。それに、やはり、自分の子供とはいえ、兄の事を質問されるのは余り好きじゃないから、話さずに済んで良かったと思う。


それに、この先、両親が亡くなって兄の事を思い出すのが私だけになっても、それで良い。私が死んでしまって、兄の事を誰も思い出さなくなっても、それも構わない。私の子どもたちが悲しんだり考えたりすることではないから。


そんな事を思った十七回忌だった。