母の命日。
もう21年たつんだ・・・。
風邪を移したらいけないから遊びに来ないで・・・。
母がしばらくそう言って私たち家族を遠ざけていた。
ある日遊びに行った時にご近所の方から
『お母さん絶対変だから、体調悪そうだから病院連れていってあげて!!』
そんな経緯もあって母に病院へ行こうと言うと、すでに近所の内科を受診していて薬を処方されているという・・・2週間以上。
おかしい・・・。
父に母を大きな病院へ連れていくようにお願いした。
母は仕事をしていて平日大きな病院へは行ってくれなかった。
数日熱が下がらず、夜間救急を受け入れている病院へ父が連れていった。
その日の当直医は小児科。
でもその先生が
『自分は小児科医だが、明らかに変だから改めて内科の受診をしてください。』
その先生がレントゲンをとって行くようにといってくれたそうだか、連休中だったので、休み明けに病院へ行くと約束して帰宅した。
そして母が選んだのは近所の総合病院。
肺炎と診断されて即入院。
私は安心してしまった。
これが後悔の始まり・・・。
容態は全くよくならず元気がなくなっていく母。
1ヶ月がたった頃、転院することになった。
そこでようやく『間質性肺炎』。
多分遅すぎた。
ICUで絶対安静。足さえ動かせない。
早くお嬢と遊んであげたい。そう言って頑張っていた。
そして
夜中いきなりの電話。その日は雪が降ってた。
『お母さん死んじゃった。』
父からの電話。
『何いってるの?元気だったじゃない!何?』
電話を切って旦那様に伝え、
『早く行かなきゃ!!早く早く!!』
眠るお嬢に
この子さえ居なければすぐに母の所に行けるのに。
今でも思い出すたびお嬢への罪悪感がよぎる。もちろん口に出したわけでもないけれど。
旦那様に『落ち着け!』一言渇を入れられたのを覚えてる。
雪が降っていたので、まずは車を動かせる状態に主人がしている間に、一歳だったお嬢の準備。
何がなんだか、何でこんなに急いでいるのか・・・わからない。分からなかった。
夜の静かな病院。
父と妹が病室にいた。
母に駆け寄る私。
『温かいよ?なんで?温かいよ?』
『温かいんだよ。でも、ダメなんだよ。母さん、頑張ったんだよ。』
みんな泣いてた。
私は一人叫んでいた。
『なんで!!なんで!!』
入院から1ヶ月半。
母は、56歳だった。
久しぶりに母の亡くなったときの事を思い出した。
故人の一番の供養は思う事と聞いたことがある。
お母さん、私はまだまだです。あなたのように生きたいと思っても、まだまだ手も届かない。
あなたは私の憧れで、目標。
いつまでも 大好きです。