「 帝銀事件 死刑囚 」 | 0・・映画toほげほげ

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  " 帝銀事件 死刑囚 "

 

監督 熊井啓

出演 信欣三 *平沢貞通

   内藤武敏 *記者

   笹森礼子 *行員

   柳川慶子 *平沢の娘

   井上昭文 *記者

     山本陽子 *行員

    北林谷栄 *平沢の妻

    鈴木瑞穂 *デスク

    佐野浅夫

 


  あらすじ、ネタバレ御免

 

 昭和20年8月15日 日本は太平洋戦争に敗れ

 民衆は混乱と絶望に落ち込んでいた

 

 GHQ占領下の この時期に

 世界犯罪史上稀に見る凶悪な殺人強盗事件が起きた

 

  ***

 

 昭和23年1月26日 午後3時過ぎ

 東京都豊島区長崎町1丁目

 帝国銀行(後の三井銀行)椎名町支店

 

 犯人が最初 姿を見せたのは通用門

 銀行は午後3時に閉店し

 工員たちは残務整理を急いでいた

 支店長は病気で午後帰宅

 

 犯人が支店長代理に渡した名刺には

 東京都衛生課並びに厚生省厚生部委員

 医学博士杉浦とあった

犯人曰く

 長崎町2丁目の伊藤さん方で集団赤痢が4名出て

 家族の1人が この銀行に来たので

 進駐軍の指示で現場の消毒に来た 

 

礼子行員陽子行員が調べたら伊藤さんは来てないけど

 

犯人曰く

 進駐軍の良く効く薬を飲んで下さい

 歯に触れると琺瑯質を傷めるので

 舌を歯の前に出して喉の奥に一気に流し込んで下さい

 

 次に1分後に中和剤を飲んで下さい

 

説明を聞く行員

 

薬を飲んだ行員及び用務員家族は倒れる

かろうじて動ける礼子が表へ出て助けを呼ぶ

 

 *

内藤記者井上記者瑞穂デスクに電話報告

 生存者男4名 女2名

 救急車で下落合(新宿区)の国際聖母病院に運んでいる

 残り10名死亡

 中毒ではなく殺しです 毒物は青酸系

 

その後 男2名は病院で死亡

 

  *

 この事件は 最初

 集団中毒と思われた為 現状保存が十分でなく

 犯人の指紋は採取出来なかった

 

 被害金額は 現金及び証券 合わせて18万855円35銭

 

 犯人が使った名刺の杉浦博士は北海道に実在し

 名刺は100枚作ったと証言

 

 *

礼子行員 陽子行員退院

内藤記者井上記者が取材

 

  *

 5ヶ月が経つ

警察は犯人が使った杉浦博士の名刺66枚を回収

残り17枚が事故名刺(紛失) 17枚が誰に渡したか不明

 

  *

 神奈川県川崎市登戸に以前 陸軍特殊研究所があって

 アセトン・シアン・ヒドリンという毒薬兵器が作られた

 CH₃COCH₃+HCN(K₂CO₃)

 青酸カリは飲んですぐ効くので飲み遅れた者は

 恐怖にかられ飲むのを躊躇うが

 この薬は飲んでから死ぬまで3〜5分かかるので

 集団自決の為に本格的使用された

 この薬を犯人が帝銀で使ったとの有力な説が一部にあり

 旧軍関係者犯人説を主張する刑事も少なからずいた

 

 

内藤記者井上記者

毒薬兵器作成に関与した佐野元少佐を取材

 南京と上海で捕虜相手に行った実験が

 帝銀で犯人が行った方法と酷似している

 

瑞穂デスクは警視庁刑事部長室に呼ばれ

軍関係の調査から手を引けと圧力をかけられる

 

軍が行った生体実験の資料は米軍が抑えている

明るみに出したくない

明るみに出るとソ連がよこせと言って来るから

 

 *

容疑者として平沢貞通(56歳)が浮上

平沢は杉浦博士と名刺交換をしている

事件後3日目に12万預金している

しかし

平沢は中学在学中に二科展に入選

横山大観の弟子となり文展入選9回の一流画家

殺しをしてまで金を奪うか疑問

 

平沢の写真を見た陽子行員らによる

犯人と似ていないとの証言もある

 

 

 昭和23年8月21日

警察は犯人を旧軍関係者に絞っていて

平沢が白の可能性は高いが 取り敢えず逮捕

 

内藤記者井上記者が家族を取材

平沢の妻谷栄 末娘慶子

 

 

関係者 被害者11名による平沢貞通の面通しがされる

犯人でないとする者6名

犯人と似ているが断定出来ないとする者5名

しかも平沢にはアリバイがある

 

 

旧軍関係者説を主張していた警察は取り調べから外される

検事は10日間の判事拘留を請求

平沢が前年に銀行相手に詐欺を4件行っていると判明

 

新聞の報道は平沢は黒に傾く

 

平沢は犯行を自供

 

  *

 昭和二十三年十二月十日 東京地裁第一回公判

平沢は無実を主張

自白は検事と警部に催眠術にかけられた

 

 

瑞穂デスク 内藤記者 井上記者らは

四十六回分の検事事情聴取書を調べる

平沢の供述は事実と異なる点が多々あり

内容も 時間と共に変化した

 

平沢には元々虚言癖があった

 

 *

礼子行員も公判で証言

 背丈 体の格好 顔は似ているが 犯人とは思えない

 喋り方が違う

 

  *

 昭和二十五年五月八日 検事論告

 読むのに6時間を要する

 証拠として

 1、杉浦名刺 2、自白 3、人相 服装 金銭関係

 4、犯罪の動機、言動など

 

 弁護人側は 6月9日より 9万語の弁論を展開し

 検事論告の全てを否定

 

 

 昭和二十五年七月二十四日 判決

主文 被告人を死刑に処する

 

 昭和二十六年九月二十九日

 東京高等裁での判決は 第一審通り死刑

 昭和三十年四月六日

 最高裁は上告を棄却 死刑が確定

 

瑞穂デスク 内藤記者 井上記者らは反省会

軍関係の調査を報道していたら

結果は変わっていたかな?

 

谷栄 末娘慶子平沢と離縁し名前を変える

でも 物好きが追って来る

末娘慶子は日本を離れアメリカへ渡る

 

 昭和三十七年十一月二十四日

 平沢は拘置所を出る

仙台へ送られる 宮城拘置所には死刑台がある

 

 

 

 

   


 

   実際に起きた帝銀事件を描く

 

   平沢貞通の死刑は昭和64年まで執行されず

   平沢は95歳で拘置所内で病死した

 

 

   主役は犯人というより

   事件を封じる新聞記者

 

 

   真実をどう伝えるか

 

 

     真実か嘘か

     見極めるのは難しい中で

     真実っぽい事を伝えるのが報道メディア

 

     でも

     時の勢いに流され

     嘘っぽい事を実しやかに伝える事もある

 

     報道メディアが

     実しやかに伝え続ければ

     民衆は真実だと思い込む

 

     真実だと思い込んだ民衆が

     社会を動かす

 

     真実は闇に葬られる

 

 

     それを

     良しとするか

     悪しとするか

 

     どう報じるかは

     メディアの良心次第

 

 

 

 

1964年 日本映画 108分