" THREDS "
= 切り刻む
監督 ミック・ジャクソン
あらすじ、ネタバレ御免
シェフィールド
3月5日 土曜日
A子さんと恋人のB太郎
5月5日 木曜日
ソ連軍がイラン北部に移動
A子さんは生理が来ない
5月8日 日曜日
ソ連は米国を非難
米国も軍の派遣を検討
英国はソ連の撤退を求める
B太郎は結婚を決意
シェフィールド
ブリテンで4番目に大きい都市
人口54万5千人
主要産業
鉄鋼 重軽工業 化学工業
近接する軍事施設
NATO空軍基地 王立空軍通信センター
5月11日 水曜日
A子さんの両親はB太郎の両親と会う
イラン沿岸の米国潜水艦が巡回中に行方不明になる
5月12日 木曜日
米軍艦がオマーン湾で危険挑発をしたと ソ連が強く抗議
ソ連の巡洋艦が 米国の駆逐艦と衝突し 深刻な損傷を受ける
A子さんとB太郎は引っ越し先を下見
ブリテンには戦時の緊急措置がある
中央政府が崩壊した場合
権力は各地の 地方行政機関に移管される
シェルフィールドも 戦時は1人の監督官が統轄する
任に当たるのは 平時の市長
5月17日 火曜日
米国は
中央司令部の指揮下にある部隊をイラン西部に移駐させる
英国内務省は
シェフィールド市長に 緊急体制の準備を極秘通達
5月19日 木曜日
市長は管理局に食料の調達を指示
NATO空軍基地からフィニングリー基地へ向け
戦闘機が離陸
王立空軍フィニングリー基地
戦時等には米軍戦闘機も使用する
ドンカスターより8km
シェフィールドより27km
フィニングリー基地は警戒態勢に入る
ソ連はイランのマシュハド基地に核弾頭を配備
B太郎は極東と中東の区別がつかない
英首相は米国の支持を表明
5月21日 土曜日
ホルシャワ条約機構の軍隊が前線に向かう
これに対抗して
NATO軍を強化するため王立軍の派遣が決定
英国空港と海峡フェリーは
臨時的に 政府の管理下に置かれる
5月22日 日曜日
12:00 noon
米国の最後通告の期限が切れる
13:00
B52 通常兵器でマシュハド基地を攻撃
ソ連は核弾頭つきの対空ミサイルで防衛
多数のB52が撃墜される
14:00
米国は 局地用核兵器で ソ連基地を報復攻撃
国交断絶
英国では
缶詰や砂糖などの 買い占めが行われ 品不足が深刻になる
略奪も横行
米ソの軍艦が戦闘を開始し
英国特別国会で国家緊急権法が制定される
5月24日 火曜日
シェフィールドでは
疎開する人が出る
他の都市でも疎開する人が増え
主要道路は渋滞
通行規制が行われる
米国空母ペルシャ湾で沈没
米国海軍 キューバを封鎖
米国各地で反ソ連デモ ソ連領事館に被害
東独で暴動が広がる
医療機関は 負傷者増大に備える
国家緊急法による措置
重要施設の警備 危険分子の逮捕
5月25日 水曜日
中東で核爆弾が2発爆発
英国では
緊急対策本部が各地の市庁舎などの地下に 設置される
シェフィールドでも緊急対策本部が設置される
招集を無視する人も多く人員不足
しかも 彼らは全く訓練を受けておらず 手探り状態
10:30pm
消防車 警戒出動
5月26日 木曜日
08:00
国家緊急法による措置
一般電話は遮断
空襲の危険が高まる
08:30
空襲警報が出る
08:35
北海上空で 核爆弾が爆発
電気系統 多数炎上
英国 北西ヨーロッパの 交通 通信 大被害
08:37
NOTO施設に80メガトン核ミサイルが落とされる
(広島に落とされた原爆は15ktなので その5,000倍)
死傷者250から900万人
交通 通信 大混乱
指令系統 途絶
核兵器の応酬 拡大
主な攻撃目標…交通 通信 エネルギー 鋼鉄 化学工業
ブリテンに2発目が落ちる
両陣営の応酬 3000メガトン うち英国に210メガトン
英国の家屋の2/3は炎上区域内
(広島で甚大な被害を受けたのは爆心地から半径2km 13km²
ブリテン島の面積は20万 km²
210メガトンならブリテンの2/3を焼くのには十分)
放射性降下物 切迫 消火 救助活動も困難
放射性降下物がシェフィールドを襲ったのは
核爆発から1時間25分後
クルーでの核爆発で 放射能を帯びた粉塵が 風に運ばれた
爆風は英国中の家の窓を割り 屋根を吹き飛ばし
死の灰は侵入した
放射線障害の初期症状とパニック症状は類似している
5月27日 金曜日 核攻撃の1日後
吐き気 抜け毛
5月29日 日曜日 核攻撃の3日後
シェフィールドの緊急対策本部は 情報が集まらず機能せず
核攻撃の1週間後
行政当局が食料を管理
核攻撃から2週間 食料配給 期待できず
6月5日 日曜日 核攻撃の10日後
いまだ放射線値は危険レベル
両陣営の応酬3000メガトン
発生した煙 1億t
大気に巻き上がった粉塵5億t
大気中の粉塵の雲が 太陽の光と熱をさえぎる
それにより北半球は暗くなり 寒くなる
アメリカ大陸や ユーラシア大陸の中心部では
気温の低下が著しいく 平年より25°も低くなる
ブリテンでも攻撃から数日で 氷点下の暗い日が続く
6月6日 月曜日 核攻撃の11日後
食料の配給は まだ始まらない
6月11日 土曜日 核攻撃の16日後
生き残った負傷者が医療機関に押し寄せる
医療機関とて 薬も水も包帯も 電気もない
6月17日 金曜日 核攻撃の22日後
伝染病の蔓延
コレラ 赤痢 腸チフス
通過は無価値になる 価値があるのは食べ物だけ
政府は再建作業を始め 働ける者には報酬として食料を与える
働ける者は 多くの食べ物を得る
死者が増えれば 分け前は増える
死体の処理
火葬用燃料は皆無
ブルドーザーを動かす燃料もない
人力の穴掘りも労働力の浪費になる
放置死体の数はUK内で1000〜2000万
核攻撃の4週間後
略奪者の留置所が急設されるが 収容者は増える一方
シェフィールド緊急対策本部の人達は
地下室で全員餓死
A子さんの家族も死に腐敗が激しい
特別裁判所に 広範な権限が与えられる
死刑とか
核攻撃から5週間後
電気 水道 衛生施設は皆無
貯蔵燃料は減少 交通は困難 食料は不足
食料を求めて田園地帯に人々が流れ込む
そこも放射線汚染が広がっている
放射線被曝の死者は最多になる
バクストン
シェフィールドより32km
崩壊を免れた建物の住人は
避難者の受け入れが義務づけられる
食料配給所が設置される
核攻撃から6週間後
A子さんは 死んだ羊の生肉を食べる
9月
核攻撃から4カ月後
A子さんは生きている
核攻撃の直接的影響
爆風と熱と放射性降下物で 1700〜3800万人が死亡
寒さと飢えで生存者も衰弱
核攻撃は春
日照不足と寒さで作物は育たなかった
収穫はほとんどなかった
わずかな量の収穫に 生死がかかる
燃料が尽きれば農業機械は使えなくなる
妊娠初期の放射線被曝
奇形 知的障害の危険性を高める
A子さんは1人で出産
12月25日 日曜日
低体温症 伝染病 放射線障害で 幼児や老人が多く死亡
3月 核攻撃から10カ月後
A子さんも赤子も生きている
5月 核攻撃から1年後
雲が切れ始める
強い紫外線を帯びた日差しが戻る
白内障が各地で発生
癌と白血病の危険が高まる
2度目の収穫
肥料と農薬がなく病虫害が甚大となる
核攻撃後3-8年
人口が最低となる
UKの人口が中世と同程度の400〜1100万まで減少
(核攻撃前は5600万人)
10年後
荒れ地を耕すA子さんと娘
A子さん倒れる死亡
13年後
食料を奪い合う
A子さんの娘 妊娠 出産 赤子は泣かない
***
映画かと思って借りたら
TVドラマだった
SFというより
シュミレーション
核戦争とその余波が
人間文化に及ぼす致命的な影響を
表現するのに最も近いドラマ
と 評されている
悲惨
新藤兼人監督の「 さくら隊散る 」を思い出す
核爆弾が悲惨な結果を生むことは分かってる
だからこそ
敵国に攻撃を躊躇わせる力がある
働かざる者食うべからず
働けなくなったら飢えて死ぬのが
本当は自然なのかも
1984年 UKドラマ 112分 制作費40万ドル
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