「 ラリー・フリント 」 | 0・・映画toほげほげ

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♪ ほげほげたらたらほげたらポン ほげほげたらたらほげたらピー ♪
★映画のほげほげ等、気まぐれ備忘録★

  " THE PROPLE VA. LARRY FLYNT "


監督 ミロス・フォアマン
脚本 スコット・アレキサンダー
   ラリー・カラゼウスキー
音楽 トーマス・ニューマン
出演 ウディ・ハレルソン
   コートニー・ラブ
   エドワード・ノートン


 ラリー・フリント
 1942年生れ


 ケンタッキー 1952
田舎の貧しい家庭で育ったラリー
酒を密造販売してこづかい稼ぎ

  1968年
  ストリップ・クラブ「 ハスラー 」を開業

  1971年
 アルシア・リージャーがストリッパーとして
 働き始める
 $0・・映画toほげほげ-コートニー・ラブ

 1972年
 シンシナティ、オハイオ州
ラリーの経営するストリップ・クラブは
客の入りがまばらで破産寸前

客寄せに
店の女の子の写真を載せた
白黒8ページの雑誌を出す

 これが好評で
 1973年には32ページに成長

 その頃アメリカの景気が悪化
 本業のストリップ・クラブの経営も悪化

 経営母体を出版に移し
 1974年7月にボルノ雑誌
 「 ハスラー 」を発刊

 1974年11月
全米で初めてバジャイナを露にした写真を掲載
本屋がびびって返品の山

 1975年8月
ジャクリーン・ケネディの隠し撮りヌード写真を掲載
200万部を売り上げ
ラリーは百万長者となる

 1976年
アルシア・リージャーと
四度目の結婚

ハスラーは、その後も過激な写真を載せ続ける

 1977年
ラリーは猥褻罪及び組織犯罪の容疑で逮捕される
アルシアは弁護士アランを雇う
$0・・映画toほげほげ-エドワード・ノートン

組織犯罪の容疑はでっち上げ?

評決は有罪、懲役25年

上訴審で勝訴し無罪となる
ラリーは"自由な出版を守る会"で演説

 殺人は違法だ
 だが、その写真現場を写真に撮れば
 ピューリツァー賞だって ありえる

 そして セックスは合法だ
 みんな するのは大好きだ
 それが写真に撮ると刑務所に入れられる

 バジャイナや乳房が卑猥だと言うなら
 創造主を責めろ
 主が裁くなと言われても 人が裁く
 裁くなら 目を開けて裁け

 政治家や扇動家は よく こう言う
  セックスを晒せば青少年は堕落する、と
 その一方で人をダマし聖なる戦争を始める

 本当の忌まわしさは子供の時代から
 セックスは悪いことだと教えられ
 なのに 人類の名の下に人を殺し
 血を流すのは英雄だと教えられることだ

 セックスをタブーにして何が解決する
 暴力も大量殺人も消えはしない

 どっちが より忌まわしい?
 セックスか 戦争か

ハスラーを販売したジョージア州の店が検挙され
ラリーはマスコミを通じて抗議

カーター大統領の妹に薦められ
洗礼を受けキリストに目覚める

女性単独の裸は神の意志に反すると
男性の裸も一緒に掲載
そこに十字架も絡めて
いろいろ絡めて

1978年
ラリーはジョージア州の裁判所に出廷
表現の自由を主張

そして
裁判所を出て来たところを狙われ
銃弾を受ける

一命は取り留めるが
下半身麻痺の後遺症が残る

1983年仕事に復帰
ラリーの言動は益々過激になってゆく

  1987年
 アルシア・リージャー死亡

表現の自由を争う裁判は
最高裁までもつれ込む

  1998年
 ラリー5度目の結婚
 現在サンタモニカに居住

  

   聖書には

  裸で暮らす無垢なイブの前に
  悪魔の蛇が現れて
  股間を隠せとそそのかし
  隠したイブは追放された

   と書いてある

  ってことは
  隠さない方が神の意に叶ってる
  はずなんだけど


   芸術か猥褻か
   の以前の問題として

   裸は猥褻か?
   性行為は猥褻か?
   猥褻は罪か?


  表現の自由を求めて
  戦い続けた男の物語


   少子化が困るなら
   日本は性表現の
   規制を緩和しろ


 $0・・映画toほげほげ-ラリー・フリント


1996年 アメリカ映画 129分 製作費3,500万ドル
 ベルリン国際映画祭 金熊賞受賞
 ゴールデン・グローブ 監督賞、脚本賞受賞
 NY批評家協会賞 助演女優賞受賞
 LA批評家協会賞 助演男優賞受賞
 ヨーロッパ映画祭 世界功績賞受賞