未病以上内科未満
私は今から半年ほど前から
心身に不調が出始め、
4か月前に適応障害と
睡眠障害と診断されました。
その後は休職し、
年度末に退職しました
今回は、心身の不調になった
いろんな出来事について
記録をしておこうと思います
特に日常生活で
ストレスがかかっている人には
同じ症状がないかを
確認してほしいです
メンタルダウンは
想像以上につらいです
入社以降、1年くらい
陰湿ないじめ(今ならわかる)に
あっていました。
でも、これまでにも
しんどい職場はたくさんあったし
それでも頑張れていた自負があったので
メンタルは強いほうだと
自分では思っていました
(新卒で大手ブラックで
ソルジャー経験済み)
だからこそ、どんなに
嫌がらせやパワハラをされても
負けない、逃げない、
実力で示す、それだけを考え
日々仕事に行っていました。
資格や数字、実力で
自分の評価は何とかなる!
それまでの経験から
そう思い込んでいました。
私の職場は完全年功序列で
変な風習やルールがたくさんあり、
効率化は悪!手間暇こそ正義!
という感じでした。
そもそも自分の価値観と
全く違う文化だったのも
良くなかったのだと思います。
かなり初期からストレスを
強く感じていました。
常に頭痛があったので
鎮痛剤を常用していました。
それをもってしても、
ずっとズンズン頭が痛くて
腰に塗るロキソニン配合の
塗り薬をこめかみに塗って
残業したこともあります。
半年前のある日、
突然眠れなくなりました。
本当にびっくりなのですが、
何時になっても目がランランとしていて
明け方になっても眠くならなくて、
そしてそのあと普通に出勤。。。
常に体は微熱で、眩暈もあり、
眠れなくなって数日たつ頃には
車が運転できないうえに
体力が極端に落ちて、
通勤ができなくなりました。
ご飯も食べられなくなりました。
無理に食べると嘔吐して、
胃液だけでも吐きました。
家を出る数分前になると
おなかが下るようになりました。
何も出ないけど、
それでもトイレにすぐ行かないと
大変なことになりそうな
強い便意に毎日襲われ、
ぎゅるるるるるるるると
すごい音がしていました。
ギリギリまでトイレに
閉じこもって、
正露丸を飲んでなんとか
家を出ていました。
旦那に職場まで送迎してもらって
仕事中はエナドリとコーヒー、
カフェインタブレットで
何とか体を動かしていました。
いよいよ動けなくなって、
休みの日にかかりつけに
行きました。
いつもの内科に行ったら、
心療内科に行きなさい。
うちでは薬出せないよ。
と、返されました。
そこで初めて、
自分がメンタル不調に
陥っていることを知りました。
看護婦さんからも、
「とにかく、どこでもいいから
心療内科か精神科に
片っ端から電話して。
診断受けなさい」
ときつく言われました。
でも、どこに電話しても
受付は数か月先だったり
新患中止をしていたり。
その時はもう受診を早々に諦め
精神を鍛えるほうに気持ちを
切り替えていました。
もともと私の職場は
ベテラン勢の人間関係が悪く、
新人が次々辞めていきます。
常に誰かの悪口を言っている
管理職に囲まれて、
いじめのような状況でした。
体調も悪く、意識がもうろうとして
その日はいよいよ
立っていられなくなり、
人員が過剰気味であることも確認して
早退をお願いしました。
すると、管理職のうちの一人が
「私は切迫早産になっても
夜勤してたの!
なんなの!?
ふざけないで!!」
と、キレてきて。。。
直属の上司のおじさんにも
「体調管理もできないなんて
大卒の癖に何してんだ?
お前給料泥棒じゃん。」
などと怒られました。
なんとか定時まで仕事をして
帰ろうとしたら、管理職に呼ばれ、
みんなのいるホールで
勤務態度についての注意を受けました。
お詫びをして、最近自分も
体調が悪いことを説明すると、
管理職が一層キレました。
「あなたの体調不良って
仕事は関係ないよね?
そうやって言い訳する態度が
人としてダメだと思うよ。
私は切迫早産~~~~~~」
と、堂々巡り。
私は切迫早産じゃないので、
諦めてお詫びをして帰りました。
そうこうして1か月くらいたったころ、
職場にいると涙が止まらなく
なってしまいました。
そのころには管理職たちが
私のあることないことを言って
酒のつまみにしていることが
自分でもわかっていました。
とにかく、田舎で大卒、
女で小梨というだけで
面白いネタでした。
周りは高卒か専門卒で、
とにかく大卒というだけで
目の敵にされていました。
(普通にFラン卒です)
「(管理職)さんがアンタのこと
仕事出来ないし、すぐに
具合悪いって言い訳して
使えないって言ってたけど
大丈夫?話聞くよ?」と
心配するそぶりのない耳年増な
職員の井戸端会議の餌になるように
なってきました。
人間関係に限界を感じました。
これまで仲良くして
くれていたひとたちに
無視されるようになったのも
つらい出来事でした。
私と下手に仲良くすると、
管理職に目を付けられて
いじめの対象になるかもしれません。
彼女たちも自分がターゲットになって
仕事を辞めるわけにはいかないので、
それは仕方のないことだと思います。
一緒に空間にいることが怖くて
手がぶるぶる震えるように
なりました。
呼吸も浅くなって声が出なくなり
顔も薄黒くて目は充血して。
旦那からは毎日毎日
「頼むから仕事を辞めてくれ」
と言われていました。
それでも、田舎で
正社員じゃなくなるのが怖くて、
必死でした。
中学や高校の頃の武勇伝を語る
管理職たち。
出身高校で学閥を作り、
大卒のことを異様に蔑み
馬鹿にしてきました。
(今なら嫉妬だと
はっきりわかりますが
あの頃は思考が回らず
自責ばかりしていました)
そんなある日、久しぶりに会った
他の事業所の職員に裏に呼ばれ、
心療内科を勧められました。
その人が本社に通報してくれたのか
すぐに本社から呼ばれて
事務方の偉い人たちと面談をし、
休職を視野に心療内科を探すことに
なりました。
これが適応障害初期に
私に起きたいろいろです。
この時点では睡眠障害が強く、
ドリエルやらなんやら飲んでも
全く眠れませんでした。
昔、酔い止めを2つ飲んだら
死んだように眠れたので、
休みの日にはそれを試して
強制的に眠っていました。
今書き起こしてて思うのですが
やっぱりメンタルが壊れてるときは
普段できる判断ができなくなって
現実と妄想がごっちゃになって
(ここを辞めたら勤め先がないとか)
自分で自分を追い詰めていたなと思います。
世界は自分の視点で構成されるので、
自分の視点を失った時点で
いったん休むべきでした。
それも、今回適応障害になって
まなべたことです。
でも、改めて我ながら
壮絶ですな。