野中新田六左衛門組の古民家 | marukumuのブログ

marukumuのブログ

ブログの説明を入力します。

野中新田六左衛門組の古民家をきっかけに

調べてみた。良かったらお付き合いください。

 

又、前回 書いた 玉川上水の水取口は水車橋付近ではなく

少し先の場所のようなので訂正をしました。^^

 

 

 

 

小平市 

「 市制施行 60周年 特集号 」から

 

野中新田は、 享保期に成立した武蔵野新田のうち、

 開発当初は 最も面積の広い村でした。 

享保 17 年 (1732) 10 月には、

 与右衛門・善左衛門・六左衛門・利左衛門の 4 名に名主が命じられ、

 野中新田与右衛門組 ・野中新田善左衛門組 ・

野中新田六左衛門組 (現国分寺市)、 

鈴木新田の 4 つの組 (村) が成立。

https://www.city.kodaira.tokyo.jp/kurashi/files/82321/082321/att_0000039.pdf

 

とあり、野中新田の組ができたことが分かる。

組は村の前の組織のようです。

 

 

 

「野中新田」の逸話を須永敏夫さんが

「第11回多摩めぐり~~~」で書かれてる。

    ↓

 

 (一部抜粋)

上谷保村(現国立市)の農民6人と江戸の商人4人が田無境から立川境までの

513町歩(約5.1㎢)の開発許可を受けたが、

権利金冥加金が納められず、

やむなく江戸の穀物商・野中屋善左衛門に援助を願い出て

開発にこぎ着けたという。

商人の野中屋の名を冠して「野中新田」と名付けたという。

 

 

 

野中新田六左衛門組だった方で、

五日市街道沿いの古民家。

一級建築士さんの興味深いレポを見て訪ねた。

140年前位の古民家。

 

 

 

 

 

 

現在は、 のらや うどん (本店 大阪の支店)のお店。

 

一級建築士さん

  

 (一部抜粋)

「国分寺市の民家」

(平成8年、国分寺市教育委員会市史編さん室)に

この建物と思われる古民家が掲載されていた。

国分寺市教育委員会に問い合わせたところ、

報告書の野中新田六左衛門組の川窪家住宅が、

「のらや」の建物であることが確認できた。
 

「国分寺市の民家」には

明治40年頃に建築された大規模な養蚕六間型の民家とあり、

大黒柱が通常の民家では土間境に配置されるところが

部屋と部屋の間にあり、

特筆すべき項目として書かれている。

 

建物は昭和40年頃に大規模な改修を行い、

その時に草葺屋根を瓦屋根に葺き替えている。

 

 

現在は、なかなか古民家として残ってる家は無いかと。

伺った時は、営業時間外でした。

また機会を見つけて食べに行きたいと思います。

 

つづく