TAKEUCHI 神保町本店
千代田区神田神保町1-20-3
マークしてあったお店。
11時半OPENの10分前に到着、一番乗りかと思いきや、中からどうぞ~と
初めから決めてあった数量限定の煮込みハンバーグカレー膳
海カレーもいいなぁ。
席に着いて5分で、熱々のスキレットがサーヴ。
9月だから、紅葉が刺さっているのかな(飾りです)
梅干しの上には、ハートの型抜き人参
乙女チックなヴィジュアル
ご飯と具沢山のお味噌汁は、おかわりもできるという太っ腹(おなかいっぱいで出来なかった)
想像以上にハンバーグも大きくて野菜もたっぷり。
お味のほうは、家庭の風景が見えてくるようなカレーでした。
今日は何が食べたいと子供たちに聞いたら、カレーがいい、ハンバーグがいいと意見が割れた時にお母さんが作ったイメージ!
お父さんには、具沢山の味噌汁メインという感じ。
これで850円、超コスパ良しのお店です
2019年8月1日から、11月30日
神田カレー街食べ歩きスタンプラリー2019 開催中です。
ボールペンもいただきました。
記念すべき一店目、多分あつまらないだろうけど。
**備忘録**
神田神保町一丁目(旧・表猿楽町)
神田神保町一丁目北部(偶数番地)のうち、このあたりは、江戸時代には一橋通小川町と呼ばれ、東側は表猿楽町と呼ばれていました。
「猿楽」とは能楽の古称です。高名な猿楽師であった観阿弥・世阿弥父子によって芸術性を高めた猿楽は、江戸幕府の「式楽」(儀式に用いる音楽・舞踊)に指定されました。それが、観世座、宝生座、金春座、金剛座、および喜多流の「四座一流」です。
このうち観世座は、徳川家康と縁が深かったこともあり、筆頭の地位を得ていました。その家元観世太夫や一座の人々の屋敷がこの界隈にあったことから、「猿楽町」という町名が生まれたとされています。
明治五年(1872年)、この一帯に猿楽町という町名が付けられました。当時、このほかに猿楽町一丁目~三丁目、裏猿楽町、中猿楽町という町名があり、現在の神田神保町一丁目~二丁目から西神田一丁目~二丁目まで、その趣のある名を冠した町が広がっていたのです。
明治四十四年(1911年)、猿楽町はいったん表猿楽町となりましたが、関東大震災後の区画整理の際に、西神田一丁目と神保町一丁目に変わりました。神保町という町名は、江戸時代に神保長治(じんぼうながはる)という旗本が住んだことに由来しています。
また、この区画整理で、町割も変わりました。道路を中心にしてその両側が町域になる、「両側町」という伝統的な方式が採用されました。そのため、靖国通りをはさんで南に奇数、北に偶数の番地が交互に振られているのです。