遅くなりましたが、イラクまとめ。



2ヶ月弱の滞在。もちろん良かったところと残念だったところがありますが、総称して、実はそんなにグッとはきていない。また来たい度はハーフ&ハーフ。

まずその理由となる残念だった点を5つ。まずイラクといっても私が行ったのは自治区のクルディスタン。アラブ側とは言語も民族も全く異なります。私が5年間思い描いていた先はアラブイラクなので、まず最初からなんか違う気分。次にクルドの面倒くさいいくつかの点。ハイナショナリズムなところ、言語関連で言語が形態だっていないのでみんな訳が異なる、文字化けする、プロジェクトに使いたいが絵本自体が全然存在していない、さらにアラブ対クルドの因縁深い対立、そしてすぐ勘違いする男たち。。。3つめに、気候か食べ物が合わず重度の肌荒れ。以後は反省点でもありますが、4つめは自分の中でボランティアの達成感が少ない。5つめに、日本人の先輩方と行動していたのでつい自ら英語で行動していくのを怠ってしまったこと。

はい、承知でございます。人道支援したいならこんなんでめげるな!ってね。

では、肝心の良かった点!まずは兎にも角にも5年越しのイラクについに足を踏み入れ、そのきっかけとなった映画の登場人物や監督さんと、イラクの地で一緒に働けたということ。懇願だった難民キャンプにも行けた。憧れの存在、高遠菜穂子さんと一緒に生活し、話し、働く姿を見て、人道支援の様々な在り方を再発見し、その道に進みたい気持ちはもっと固まったこと。やっと会えたイラクの友達もいたし、新しい友達もできたこと。

ゲロまみれ、お金なし、仕事なし、未来なしだった私がここまでこれたことを、純粋に誇りに思う。ちょっぴり自信が持てた。ただもちろん、これで完結!ってわけじゃない。人道支援は数日のものでもないし、旅行ツアーでもない。人が存在する限り一生続くのだ。

私がイラク、クルディスタンで見たもの。
キャンプの中にも外にも難民、国内避難民(IDP)はいる。その数約616,600人、ドホークの人口の約40%にもなる。彼らをもっと細かく説明すると、難民とはシリア内戦とISの襲来により逃げてきたシリアクルド人。しかし、アサド政権のもとでアラブ語で教育を受けさせられていたためにアラビア語を話す。IDPは主にISの襲来をきっかけに2014年前後より増え始めたヤジディ教徒(クルド語)、モスルからのアラブ人(アラビア語)。その他の少数民族、迫害されている元IS家族も。そもそもクルド人とアラブ人は歴史的な因縁があり対立しているが、彼らが小さなこの地に一緒に住むことになったのが現在。人道的な観点からクルド人は支援に奔走してきたが、長期化し資金も尽きている。難民やIDP自身もいつかそれぞれの地へ帰るかもしれないけど、戦争がいつ終わるかもわからない、未来がわからない。互いにストレスが溜まる。。。それでも、今は一応緊急事態からは脱し状況はまだマシらしい。2014年前後のキャンプがまだない頃は、ISの襲来から逃れてきたIDPが街中に溢れ、空きビルも学校も道端も人だらけで、真夏は50度にもなり、地獄のようだったと。

でも、戦争は終わらない。
人々の中で一生続く。
現在進行形。

戦争何ぞ本当にくだらない。そもそも国民に銃を向ける政治家なんて気が触れている。大国が介入してかき混ぜ終結を困難にする。そこに目をつけてテロ組織がやってくる。でも、テロ組織にいる人々の動機なにかって、戦争やその前の圧政の中で迫害されてきた人、家族を失った人、テロ組織のプロタガンダよって幸せになれると信じてやまなかった人。一体誰が悪いのだろう。このくらだらないの犠牲者はたまったもんじゃない!!

たった2か月過ごした私でさえ、なんかもう逃げたい気分に駆られました。でも、彼らは逃れることができない。そりゃ外国人だけれども、同じ時を生きるものとして、同じ人間として、何ができるのだろうか。

18年もの間ずっとイラク支援を続ける高遠菜穂子さんは、やっぱりすごい。

とりあえず日本人に言いたい。大なり小なりなんでもいい。なんかして。周りの関係ないと思ってること、目を向けて。自分だけが幸せになればいいの?問うてみて。