【1/20〜2/8】サラエボ 難民キャンプで料理ボランティア①の続き〜
ハマったボスニアグルメのブレック
シュウマイがパンになったみたいな
さて、ここで料理ボランティアして、料理系の仕事もありかなってちょっと思いました。何故ならば、上手いね、切るの早い、手際めちゃいい、調理の仕事の経験あるの?とか結構言われて、私自身も料理が楽しくて全然このボランティア苦にならない。でも、食べ物に溢れたこの環境下で、一時過食嘔吐が再発し数日続きました。It's shame.
過食嘔吐再発のもう一つの原因は、疲れたのかも。他のボランティアは英ペラだから、私は分からず毎日曖昧で。あと、ヨーロピアンのノリも合わない、私はお酒もタバコもドラックもしないからね。ふと、なんか、ずっとあてもなく海を彷徨っているような気分になったり。もう自分がなんなのか分からない。何が好きで何が嫌いで、今なにすべきで、将来はどうしようか。夜の海はすべてを飲み込む。
そんなとき気づきました。
私には、たった一つ失えないものがあった。
国籍。
日本人って言うだけで、多くの人が喜んでくれる。日本好きな人が、一生懸命話しかけてくれる。そこから、その人との共有される今が始まる。異国の地で、私はこの”日本人”ってことに、どれほど救われたことだろうか。技術力やマンガ、このイメージ作ってくれた人々に本当に感謝です。
それに、私の思考の多くが日本に由来している。当たり前だ、日本人の親のもと、30年間そこでどっぷり生きてきた。自然を愛し質素に生活し、他人を敬い謙虚にひたすらに努めるを良しとする。たまたま歌った国歌の歌詞の深さに今更気づいて好きになった。”日本”には良い面も悪い面もあるけれど、これは私の大いなるアイデンティティの一つなのだ。日本にいたら当たり前すぎて気づけなかった。
そしてやっぱり思いを馳せるは難民。自分のパスポートを失うということ。自分の国にもう帰れないこと。自分の国を語れない人もいる。その大いなるアイデンティティを失うということが、どれほどのことなのか。そして、この違いだけで、国境を越えられるか、越えられないか、人生をも勝手に決められる。これが人生をどれほど左右するのか。
同時に思い出す。イエメンの友達が言っていたこと。
「自分の国を誇りに思う」
例え戦争していようとも、政府が腐っていようとも、そのせいで自分が難民化して今苦境にあろうとも、自身を愛し国を誇りに思う心の気高さ。私はできていただろうか?ナショナリズムはあまり良いとは思わないけど、こういった考えは自分を愛することにも繋がるんだろうな。
私はちっとも自分を愛せていない。否定して傷つけ願わくば死ねばいいと思ってた。だから、何にも自身が持てない。存在が恥ずかしい。いつから?もの思いついた頃から始まり、摂食障害になってからは特に悪化。なんでこんなに根暗なんだか謎w
別のイエメン友達と話していて面白い意見を2つもらった。
まず、私は繊細すぎる。もっと自由に気にせず自分らしくしてていい、相手にも自分にも。→他人を気にすべき、他人に揃えるべきという日本教育とは異なるからハッとした。
あと、私は自分のことをまだ全然分かってない。何が好きで、どんなとき幸せを感じ、何をしたいか、考えてみなさい、と。。。幸せな瞬間くらいは分かってるつもりだったけど、話していて相手にそう思われたならその要素があるのだろう。
かくいう彼はムスリム。熱心なムスリム。私はイスラム教には興味がありたくさん友達がいるけど、みんな強くいんだよな。なぜならば、みんなアッラーを信じているから。良いことも悪いこともアッラーからもらったもので、全てに対しいつでも前向きにひたすら熱心である。そして、他人に優しくすることも教えの一つで当たり前。日本人の多くは宗教観はあまりないし、まぁ仏教か神道でしょうが内容を詳しく知らない人も多い。私がまさにそれ。宗教に頼らず生きてきたし(学校は儒教だけれども)、途上国ほど宗教熱心な傾向がある気がして何とも言えないが、例えば私がムスリムだったら何か違っていたのかな。
まぁとにかくはなんかすごくハッとさせられた彼の発言。面白いなぁ。こんなこと言ってくれる友達がいて、私は幸せです。あ、これか!w
さて、今は人生の帰路とも言えます。
日本に帰りたくなくて、海外に住みたくて、出来れば人道支援の仕事をしたい。でも、今すぐは私のスキル的に無理だ。なので10年後でもいい、そこに繋がるものはなにか。取り敢えず海外に残る案としては、ドバイのホテルのインターンシップを受け結果待ち、カナダのワーホリ、イラクから半年滞在のお誘い(でも求められてるものがでか過ぎる汗)、アルバニアで友達のレストラン手伝い。。。無難なのは日本帰って就職だけど、結局今までと変わらず、何やりたいとか分からずお金のために働くだけになりそう。。。でも、やっぱり母語なんで良いところ見つかればたくさん吸収できる。あとは、看護学校とかもずっと頭の隅にあるが、これだと拠点は日本でたまに海外ボランティアという道なんだよなぁ。。。
まだ悩みます。
こんな感じでボスニア終了〜
そういえば、ボスニア人はgenerally優しいです〜。ある時街歩いてたら10歳くらいの女の子が近寄ってきて?Do you need a help?って声かけてくれたこともあって?あぁ感動で泣るじゃないか!!笑
最終日の朝日は美しかった。。。
次はセルビアはベオグラードへ向かいます!