Collective aid(https://www.collectiveaidngo.org)というNGOでボランティアをしました。ボスニア・ヘルツェゴビナ首都サラエボの郊外にあるUsivak難民キャンプでごはんを作りました。

 

まずボランティアに関して。

やはりボランティアは私以外western people. 英語をペラペラ話し、環境が大変でした。でも、2人かたことだけど日本語を話せる人もいて気持ち的に随分助かったし、みんな超絶良い人でした。そして、このNGOも全員ボランティア(有給スタッフはゼロ)。驚いたのが全員若い!2,30代の若者が自発的に集まり活動し始め今は難民キャンプでオフィシャルに料理をしている感じです。すごいわー。。。料理は朝昼晩の1日3回、450人分くらい、みんなでシフトで回し毎日7時間くらい働きます。休憩とったり食べたりもするんで、そんなに大変じゃないです。

作ったご飯

 

 

 

 

 

 

  

 

次に状況について。

ここUsivak難民キャンプはレスボス島のモリア難民キャンプよりも規模は小さく500人ほどらしい。しかし、この2カ国じゃ状況が全く異なるので、ちょっと説明を以前に書いたものと重複するが改めて。

 

アラブ、アフリカ、東アジアから戦争や経済的理由などで祖国を逃れ国境を越えた”難民”の多くが、豊かで安全な西ヨーロッパを目指す。しかし、EUにはダブリン規則というのがあり、難民は最初に入国したEUの国で難民申請をしなければならず、その国は彼らを保護する責任がある。ほんで、もし無視して通過した人がいれば最初の国に送り返すよというのが原則。ルートはある程度決まっている。そもそもVISAが出せない、もうそんなん機能してないような祖国なので、違法に国境を越えるため飛行機なんて使えない。だからトラックや電車で海近くの国まで行って、最後はボートで海を超える。スマグラーに多額のお金を払い、着の身着のまま。主流なのはトルコからギリシャ、リビアからイタリア、モロッコからスペインのルート。他にも陸のみのルートとかもあるけど。ということで、必然的にギリシャ、イタリア、スペインにかなりの負担がかかる。しかし、もちろんこの3カ国は無理ってなるし、そもそも難民も目指すは西ヨーロッパ(ドイツ、フランスなど、さらにはスウェーデンなど北ヨーロッパも)なので、2015年にシリア戦争で難民大量発生した際は、ドイツがウェルカムって言ったのもあって、ダブリン規則なんて無視してバルカン半島の国々はどんどん難民を通過させ西ヨーロッパへ向かわせていた。しかし、フランス、ドイツなどでテロ事件発生、各国でナショナリズムが高騰し、ハンガリーなんかは国境にフェンス作っちゃう、イタリアは船の上陸拒否。2016年にEUとトルコで契約結んでお金あげるから難民送り返すねとか、2018年にドイツは3カ国と難民送り返すねって約束もする。

 

さて、レスボス島はギリシャであり、ギリシャはEUである。そして、トルコからボートで海を渡る難民にとっては最近のEU。とにかく危険な海の旅を早く終えるためここに上陸し、難民申請をし、結果を待つことになる。しかし上記の通りギリシャはいっぱいいっぱいなので、半年〜3年とか待つ必要があるし、トルコに送り返される心配もある。未だ日々ボートが上陸し、難民キャンプは人口密度過多で環境は劣悪。という状況。

 

一方ボスニアは、EUではありません。なので、ダブリン規則を行使して見つけた難民を最初に入国した国に送り返すことはしません。もちろん難民はギリシャに上陸せずにはここに来られません。難民は、EUではないこの国で難民申請をすることは滅多にありません。さっさと通過し国境を越え最終的には西ヨーロッパ諸国に入国することが目的です。しかし上記の通り、ナショナリズム高騰でクロアチア、ハンガリー、ブルガリアなどなど国境警備が厳重化し難しい(暴力や、お金を奪ったりも)。取り敢えずここで休憩しつつチャンスを伺う…が長くなってしまっている…

 

今回のNGOは難民との交流禁止で、できても挨拶程度。でも、みんな良い人そうだなぁってのは伝わってきて、だからこそ、この先の見えない生活を思うと、とても苦しい。どうかみんなにいい未来がありますように。。。

 

ボスニアの街の写真

当初は雪だらけ

 

街中はヒストリカル

 

 

 

第一次世界大戦勃発サラエボ事件の橋

ボスニア戦争の傷跡残る、穴だらけの建物と遺産

 

 

 

相対的に貧しめ

 

 

②に続く。。。