「なくてはならぬ人になる」


この題名で


作文を書いた事がある


定時制高校2年の時、


まるこは、養女にしてくれた

叔父叔母との生活で


生きる事に息苦しさを感じ、


東京に出て行った


8か月ほどで帰ってきたけど…


東京の会社の

同じ寮の部屋に一緒に住んでいた


広島から出てきた


4歳年上の直美さんが、


お正月にお見合いをして


いい人だから今月いっぱいで帰るよ。


と、お正月明けに言った


「まるちゃん…

まるちゃんも、働くだけなら

どこでも一緒だと思うよ

田舎に帰った方がいいよ…」


と言った

そして…


「毎日…機械の一部のように

スイッチを入れられて、

ただ…決められた事をするだけ

(製本会社だったから)

と思ったら…虚しくなったし

なんかもう

ええかなぁ〜と思ってからよ」


と言った


虚しい……か…


そうだなぁ

夢も破れてしまったし…


と、思ったら


直美さんが帰った後


寂しかった


ある日、寮の食堂で


一人食事をしていた


歳が17歳だから


残業が出来ないので

残業のある日は

いつも一人で食事をしていた


寮長さん夫婦が


「この頃、夜は学校に行かないのか?

どしたんだべ?」


と優しく言って来た時に


何かが弾けて…


泣いた😭


ワンワン泣いた😭😭


寮長さん夫婦が、

そばに座って話をいろいろ聞いてくれた


「お前はよぅ…まだ朱に染まってないから、今のうちに

田舎にお帰り、それが一番いい」


と言った

あれよあれよ…と言う間に

一週間後にはキップを買ってもらい、

お見送りまでしてもらい


宇和島に帰ってきた



帰ってきて、定時制の職員室に行った

2年の時の担任が、


「おぉ、帰ってくるかもしれん…と思って、お前は退学届けを

出しとったけど

ワシが休学届けに

変えとったんよ。

ようもんたのぉ〜

東京に行って気が済んだかぁ😁

でもあと一か月早かったら、

そのまま進級できたのにねぇ

残念やけど

もう一回、2年生から

始めないけない」


と言われて、復学した


就職先も見つけてくれて


働き出した


その2回目の、2年生の時に


書いた作文の題名が


「その場所で、なくてはならぬ人になりたい」だった



(機械の一部の部品でも

その小さな部品がなくては、

機械は動かない…

必要だから、自分が居る)


そういう作文を書いた


就職が決まるまでの間


家事やらを手伝いながら


図書館に行って


本を読んだりしながら


東京での暮らしを考え直した

(図書館は、暖かいから、

2時間くらいは時間潰しにいたわぃ)😅


その時に、

自分をいつも支えてくれる

いろんな人達がいたんやなぁ…


と思ったりしながら考えていた事を

作文に書いたら


【愛媛県知事賞】を受賞した😆❣️


あの頃を


忘れないようにしないといけないなぁ…


たくさんの人達に


きっと助けてもらっていたんやなぁ


だから

今があるんやな…と思う


まるこなのです・・・