54歳の息子、ホントにいろんな事がありました。笑い泣き

「2度の結婚、2度の離婚、借金、自己破産」。ショボーン

「建築現場の土方」「水道屋」

「東京まで行ってバイクに乗って書類の配達屋」

「札幌に戻ってタクシードライバー」。

「酔ってバイク」で事故。ガーン

大変な思いをした。お金も使った、、。ゲローガーン

こんな可愛いお手こだったのに、、。笑い泣き

「良い事も、悪いことも」してきた「手」だね、、。チーン

 

                              

「月満ちて3250gでこの世へ」。ニコニコ

 

「子供が泣くと一緒に泣きたい20歳そこそこの

未熟で無能な若き母」だった。えーん

 

「夫」は40歳で「急性心筋梗塞」となり、

2度の「バイパス手術」、

まだ「心臓外科」もそんなに発達していない

昭和62年の事だった。ガーン

しかも「夫は家族性の高脂血症」だった。

いくら薬を飲んでも「コレステロー値」が下がらず

動脈硬化が進む病気です。ガーン

なので「血管を詰まらせないため」に

「アフレ―シス」という「透析」に似た

「吸着療法」もしていました。ショボーン

息子達に遺伝はありませんが

「癌」をもらってしまいました。

姪と甥っこには「高脂血症」があり、

治療中。ショボーン

義兄たちも「皆、高脂血症」で

心筋梗塞を引き起こし亡くなりました。ショボーン

夫の両親も、ともに「胃癌、大腸癌」だった。チーン

(後になりわかった事だった)。ショボーン

夫が倒れて23年間、「夫の給料無」の生活。ガーンガーンガーン

何としてでも「生きてゆく」ために

「資格」が必要だった。おねがい

再度「看学」に入学。ニコニコビックリマークビックリマーク

「資格」を取得、必死に

「収入の良い夜勤」を頑張った。ニヤニヤ

「家庭」をゆっくり顧みる暇もなく働いた。えーん

 

今、「息子」に

「手」を取ってもらう年代になったが

「私が息子の手」を取ってあげなければならない。

しっかりとね、、。真顔

「俺の事きらいでしょ?」ニヤリ

今更~~~?。良く言うよ。笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

 

 

*「画像」はお借りしました。m(__)m