- 蓮如―われ深き淵より (中公文庫)/五木 寛之
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この二人の対談を初出の雑誌「大航海」で見かけたおぼえがあり、それだけを目当てに、それが収められた戯曲「蓮如」文庫版の古本を買った。
冒頭に「小説の時代の終わり」が語られ、ジッドの『贋金作り』という「小説を書くこと自体がテーマの小説」が出てきた1920年代あたりから小説の衰退が始まったとされる。
五木は、本作「蓮如」はレーゼドラマだと言い、小説を書くモチベーションを失ったときに脚本形式で書いたら興奮してどんどん筆が進んだと語る。また、アシスタントの学生が「ふぞろいの林檎たち」「北の国から」のシナリオを、「描写が少なくて台詞が多いゆえに読みやすい小説」と思いこんでいたというエピソードが語られ、文学としてのシナリオという視点が示された。優れた脚本家たちまでが小説を志向するようになる事態が嘆かれたりもする。
この対談の五木発言を読んで、私は、平井和正が「ハルマゲドンの少女」をシナリオ形式で書いたキッカケ(白蟻駆除に追われて意欲を失ったときにふと思いついた)の話や、最近時代小説で「本屋大賞」を受賞した和田竜が、二度手間を厭わずにシナリオを書いてからノベライズする話を思い出した。和田は脚本家志望だった。
ハードボイルド文体への言及もあり、柳田国男の「遠野物語」が、情緒表現を排して見事な効果を上げたハードボイルド文学だと評された。
終盤の母性と父性の話は胡散臭いが、それ以外は私のような者にとって大きな収穫になった対談であった。この対談は神戸震災やサリン事件があった当時に行われたようだ。これから本編を読むかどうかは分からん(笑)。これだけ良い対談を載せてくれたのだから読んでやるか(笑)。
脱影より、「離影」のほうがいいかな、と思いました。(下のエントリー参照)
「脱」というのは、意図的に離脱して戻らない強固な意思も感じられるが、「離」というのは、ただ単に距離がある状態というニュアンスなので。
響きも、こっちのほうが良い。
「レーゼシナリオ」の漢字語訳として「例是(れいぜ)」「令科(れいしな)」など、既存語でいえば「浪漫(=ロマン)」のような「発音からの発想」から造語してきたが、「意味からの発想」で造語してみたのが、↑タイトルの「脱影」である。
舞台脚本でなく映像脚本の形式であるということを漢字一字で表すとしたらと考えて「影」が浮かんできた。中国では映画を「電影」というから、これは悪くないだろう。そして、映像製作からは独立した、というニュアンスを出すために、「脱」を冠してみた。「脱」は「外れる、離れる」という意味である。
レジェンド集結は凄かった。「笑い」という意味では大したことないけど(柳沢慎吾が一番笑えたくらいだからw)、大物たちがテンパって異常な緊張感があったのが、見物でした。
政府が公共事業と称して、橋や道路を建設会社に作らせるとき、それは政府が建設会社から財を買ったということになる。
以前、このブログでそのような財を「公共財」と呼んでしまった記憶がある。しかし、公共財という語には経済学的に厳密に定義された違う意味があったのだ。→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E5%85%B1%E8%B2%A1
だから、もう使えません。
しかし、だったら。政府が経済主体となって購入する財を何と言うのか?企業は生産財、家計は消費財、では政府は?それは明らかに「ある」。
「政策財」なんていうのはどうだろう?