「色即ぜねれいしょん」と「川の底からこんにちわ」という邦画の最近作二本を観た。一本目は脚本が向井康介、もう一本は石井裕也が脚本・監督で、両者とも大阪芸大卒の映画人による作品です。前者の「文化系」とか後者の「中の下」とか、要するに冴えない自分をどう肯定するかみたいなところに力点が置かれてるのが共通項だけれど、ラストに「僕らの青春ノイローゼはこれから始まる」と言って終わる前者と、「頑張る!」と叫んで家族愛の強調で終わると後者とでは、やっぱり前者の方が鼻の先で一歩前に出てると思ってしまう。要するに、前者は「冴えない現状を肯定しきって(”世間”に勝って)」終わったのに、後者は「心を入れ替えて(世間に負けて)」終わったように感じられるからだ。
主演は両者とも素晴らしい。前者の黒猫チェルシー・ボーカルくんの笑顔がいいし、後者の満島ひかりは美人なのに上半身が貧相で幸薄い感じが出てて、この手の「共感呼びそうな巻き込まれ女」(かつてのゴールディ・ホーン主演作とか、矢口史靖の初期の映画に出てきそうなタイプ)にピッタリくる。
カート・ヴォネガットの小説「スラップスティック」には、安易に使われすぎて虚ろになってしまった「アイラブユー」という言葉の意味を回復するシーンが書かれていた。医大を卒業した主人公が姉と再会するくだりである。「川の底から~」も「頑張る」という言葉を復権しようと思って、あえて無気力なヒロインに叫ばせてみたのかもしれないが、「スラップスティック」のように見事には成功してなかったような気がする。たとえば、あの、やることなすこと偽者っぽい彼氏が、娘の運動会で「ガンバ!」なんてガッツポーズきめてる横でウンザリしてるヒロイン、なんていう伏線があればもうちょっと伝わったかもしれない。
遺骨を投げるラストは映像的に良かったけど、「貴方のこと好きになりたいのに」とかなんとか、頭でっかちな台詞がイヤでした。
世界そのものをよそよそしく感じているヒロインがちょっとずつ現実との接点を持ち始めた、ということを表現したいのだろうけど、そんなものは映画で観たくないんだよ。