だいぶ前に三島の「近代能楽集」読んで、そのなかで強い印象に残ってたのが、「綾の鼓」でした。
今回、作者不詳(いちおう世阿弥ということになってるらしい)の原作「綾鼓 」を読んでみましたが、あんまり面白くなかった。
やっぱり近代版は、「善意の部屋」と「悪意の部屋」の対比(悪意の部屋の男が老人からの手紙読んで文句つけはじめるところは恐い!東大法学部出身の三島のまわりにはこういう男が多くいそうだ、と思ってしまったw)みたいのが効いてたんだな。
原作の謡曲はやっぱり単なる台本で、文学じゃないと思った。結局、能は継承者だけの間で継承されて、それは文字による伝達よりも口頭やボディランゲージの伝達によるところが大きいんだろうな。謡曲は、覚え書きとかメモのようなもので、口頭の伝承の補助のようなものだろう。エクリチュールとかテキストとしての独立性は弱い。
西洋の人類学者だか博物学者だかが日本に来て、西洋的価値観で日本を分節化して、謡曲は日本の古典劇文学、西洋で言えばギリシャ悲劇、ということになったのだろう。つまり謡曲への日本人の関心というのは、一回西洋的なフィルター(文学とは詩と小説と戯曲だ、というような分類)を通したうえでのものであって、ナチュラルなものではない。
http://jikken-aya.jugem.jp/?eid=7
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