又とんでもない事をと言われるだろう。そんな事を思いながら、治療院の案内書に般若心経の一部を拝借致しました。

 意味が全く解からんと云われましたので、以下の説明を付けました。


     ム チ ヤク ム トク ム    ショ トク コ ム ケイ ゲ
   無 智 亦 無 得 無    所 得 故 無 罫 疑 

    ム ケイ ゲ コ ム ウ    ク フ オン リ イチ サイ
   無 罫 疑 故 無 有    恐 怖 遠 離 一 切
 
   テンドウ ム ソウ
   顛 倒 夢 想

 
 【日本語 読み】智もなくまた得もなし 得るということがないから 罫絵疑なし、罫疑無きが故に恐怖もあること無く 一切の顛倒夢想を遠離して【解 説】知ることも得ることもないから 心を妨げる又は遮〔さえぎ〕る、事象がない心にそうした事象がない故に、恐怖が生ずることも無い顛倒〔間違いや勘違い〕した心を遠く離れて

 私見です、人は病に掛かった又は病に侵されたと思う。その時点で病と闘い治そうと努力を始めます。人は本来の健康を己の力で培っているのなら、病と謂う名の異次元を相手に闘い治すことも、その事象を克服して元気になることも可能です。
 
 しかし、健康と謂う状態が戴きもの、授〔さずかり〕りものであるのなら、再び新に授からない以上、元に戻ることは不可能です。

原因が明確であり、原因を完全特定し完全消去できる場合を除いて「覆水〔ふくすい〕盆に返らず」と諺のとおり、失ったものは決して元には還らない。

 「治るだろう、治せるだろう」の絶対性が崩れた時、人はどうしようもない恐怖に出遭います。足元、土台の崩れ失せた精神状態の中、失望感と恐怖が訪れるのです。

訪れた恐怖は間違った考え方や思い方を因にして起きた心の表れです、自己を離れ、心を自分の外、別次元に置いて、命の意味を省みると「そんなんじゃない、そんな生き方をしたかったのでは無い」と覚え見え感じるものがある。

「寿命・ことほぐいのち」。
 
 戴ける命の大きさや素晴らしさが、改めてしみじみと感じられるはずです。すべての人は、間違いを起こす因を持つ塊です。智も無く、得ることも無いと断言したそこ場所から始まる心の世界観がさわやかな気分を与えてくれませんか。

注意 けいげの罫はトの無いものですが表示困難な為に、宛て字にしています。

日本語の響きの良さを再確認させる季節の言葉です。他に「木の芽崩し」「花芽崩し」等と春早い季節を表す言葉でありますが、肩こりを持つ者にとっては、とても辛い時期です。

  梅の花散らし
木の芽崩し
花芽崩し
肩こりの増悪
自律神経異常、
  神経異常興奮、胸々苦悶
胃腸障害、心臓神経症、更年期障害、不安増長
不眠、手足の震え、めまいの多発、耳鳴り
頭痛、腰痛、背部痛
薬の多用と無効果による不安

只の肩こりが前の項目のような順番に悪化するケースも希ではありません。春先の治療でよく出会う症状です。確定した原因はないが、冷え、血液循環不全、リンパ循環不全、植物ホルモン説が主なものです。


いずれも全身に及ぶものでなく、神経系や肩背部の筋肉硬縮、頭部の循環不全から症状の悪化を招いたもので薬のような全身に変化をもたらす治療では難しい症状です。

 マッサージや鍼灸等のように、局部に対して強いアプローチができる治療が適しているのです。

冷えには、温かい物が良いのです。温泉や炬燵、懐炉など火を使うものが適します。
しかし、常時暖めるとしたら、温泉ではのぼせる。炬燵では仕事が出来ない。
そういう意味においては、貼り付ける懐炉は便利です。しかし低音火傷に注意が必要です。


東洋医学には、火を使った治療があります。いわゆるお灸です。
この熱は少し違います、新熱と謂いまして、お灸をした痕が熱を創るのです。
火傷の刺激が毛細血管を創り、その力で冷えを治して参ります。
「ふしぎな火の治療」に詳しく書きました。

人を理解する事、技術を理解する事。
又は自分を理解して頂く事、技術を受け継いで頂く事。


二つのテーマ、人間の関わり合いに付いてです。
職業鍼灸師、お灸の専門治療師である事から、やいと師と名乗っています。


弟子にして下さいとの話が数度あり、十数名の弟子希望者が参りました。
技術の何がしかを持って帰る者、何も持たずに帰る者が居ります。
何がしかの技を身に着けて欲しいと願うのです。


「門前の小僧、習わぬ経を読む」と云う諺がありますが。
「人間国宝の技を持つ夫の、妻は人間国宝になれるか」と云う問題もあります。
近くで見ていると、解かった様な気になるのですが、行うと全く違うのです。


同じ感覚を持つ者同士の、技の伝授は簡単ですが、感覚が異なるのです。
言葉で説明する事が難しいのですが。


入れ物の目が違うと申しましょうか。

どれだけ丁寧な六感で見ているかです。
人は、目・耳・口・皮膚・鼻・そして脳で見ます。
目は色や形も見ますが総合的なセンスも見えます。
耳は音を聞きますが、音階や音色そしてその結果としての心の動きも見えます。
口は味〔苦酸酢甘〕等を見ますが併せ持つ、旨さも見えます。
その様に触感や匂い等に関しても、多くの受け取りがあります。
脳の思う・想うの感覚は数万、数千万にも表現できます。
まるで、般若心経の逆世界です。


本当に軽い、誰にでも理解できる事柄を技として伝えます。
それが伝わらないのです。受け取れないのです。


昔盲目の鍼灸師に治療方法を色々とお伝えしたのです。
「目が見える人だから、我々盲人に本当の事を教える事は無い」と聞きました。
数年して、彼は開業独立を致しました。
その後「あの人は、本当の事を教えていた」と友が暖かい話しを伝えて来ました。
心持ち方で違うのだと、その折に深く感じました。


今又、弟子に何かを伝えたいと望むのです・・


頸部のリンパ誘導マッサージを教えて2ヶ月経つ弟子。
どの程度の技になったかをみましょうと頸の周辺のマッサージを行いました。
どうも皮膚面がやたら痛いだけで頸も肩も軽くなってきません。


原因は治療場所が数ミリ違っているだけなのです。
此処ですよと教えても、患者さんが変わると又解からなくなる。

違っている感覚が理解できないので、手直しの極意を伝えられないのです。


そこで、こんな話をしました。

大切なもの、高価な物は小さい。勿論技の極意は小さい。
鍼のツボも大きく感じるが、よく効果を現すツボは角度、深さとも小さい。
簡単に言うと0.2ミリ四方程度かな。


貴方が技を教えて下さいと餅網を持って来られたのでお餅を乗せました。
お米や大豆小豆等は乗らないでしょう。
ましてやダイヤ粒等を乗せても、落として帰るだけでしょう。


いくら、近くで見ていても、その技は受け取れないのですよ。
六感の目が粗いから、見えないのですと・・・・


細かい六感の目を持っていると威張っているのではありません。
人の心を訪ねる時、先ず自分の心の六感の目を尋ねると良いと思います。

昨夜、宮崎県北部は、時間雨量80ミリの集中豪雨にみまわれました。


傘は役に立ちません。


道路が見えません。山手側は総て滝現象です。

道路脇には、進む事を諦めて、ハズハズを着けた車が立ち往生して居ます。



こんな天気になるとは、誰も予想できずに・・・

北川中学校の家庭学級の講師を引き受けていました。


受講開始前30分、普通なら15分で到着の距離。

時速30キロ、前が見えない、10メール先の車のテールランプが見えない。

ワイパーはほとんど意味を成さない。


こんな雨の中「聴講者は居ないだろう、引き返すか」と

心の中から、誘いがかかる。

実に気楽な私は直ぐに「楽に走る傾向がある」「そうするかと」

「待てよ、担当者が困るだろう」「もしも、一人でも聴講者が居ると・・・私が行かないと」

と自問自答

「雨に驚いて九州男児が務まるか」と

土砂降りの中を覗くように国道10号を北上しました。


開講3分前にやっと到着、先生以下役員の皆様及び関係者全員が雨の中に待っていてくださいました。


「良かった、引き返さなくて」と

ほっと胸を撫で下ろしました。


勿論、講演の内容は「水の治療」でした。