僕の生い立ち
保育園の最後らへんから、家に一人で留守番させられることが多かったです。
小学校は6年間完全に鍵っ子でした。
ご飯は母が作り置きしたものをレンジでチンして食べていました。
弟二人を保育園から迎えに行くのも自分の役目です。
お米を炊いたり、洗濯物を取り込むのも自分の役目でした。
サボると両親からひどく怒られました。
父親は自分にはものすごくキツく、
保育園の時から些細な理由で一時間はほぼ毎日すごい剣幕で僕を「怒り」ます。
父親に「叱られた」ことはありません。「怒られ」たことは数えきれません。
ほとんど八つ当たりでした。
小学生になると怒られても泣かなくなってくると、泣くまで怒鳴られたりしました。
唯一の救いは暴力を振るわれなかったことです。
なぜか弟二人にはほとんど怒ることはありませんでした。
小中はクラスにほとんど馴染めませんでした。
中学はほとんど行ってはいなかったです。
小4のとき、詳細は書けないけないのですが、クラスのあるグループ濡れ衣を着せられました。
担任の先生からも疑われ、完全に犯人あつかいでした。
そのことが父親の耳にも入りました。
僕は無理やり児童相談所に連れていかれ、数人の大人たちから尋問に近い質問をされました。
施設内の複数の部屋に行ったり来たりさせられて
質問や診察のようなものを受けさせられました。
児童相談所に行かされたのはクラスの担任の先生が父親に言ったためでした。
大人は誰も守ってくれませんでした。
数人がかりで僕を犯人扱いでした。
相談所は小学五年生の一学期まで通わされました。
母が付き添いでした。
父は完全に僕のことはほったらかしでした。
五年生からは県庁のある市にまで生かされた。
でも結局僕に異常は見られず、診察やカウンセリングは打ち切りになりました。
小四の時のクラスの事件も真犯人が誰なのか結局うやむやになり、担任の先生もクラスの子たちも誰も責任を取らずクラスは解散しました。
僕は泣き寝入り状態。
それが元で人間不信になり、中学ももっと馴染めずに不登校になりました。
高校はいろいろあって他県の高校に通うことができました。
高校での人間関係はよく馴染めました。
今でも同級生たちとは繋がりがあります。
子供時代の嫌な思い出をずっと引きずっていて、
苦しかったのでここで吐き出させていただきました。
十代の頃の教訓で、今に至るまで二十年間変わらず、これからも変わらない考えがあり、それは
嫌な人間関係からはすぐ離れるということです。
小中の比較的仲の良かった子に今でも会う機会が僅かばかりあり、同級生の子たちの大まかな話を聞くと、
今も昔も自分は小中の子たちとは馴染めないなと痛感します。
馴染む余地がまったくないのです。
だから中学の早い時期に学校に行くのをやめて中学の同級生から離れたのは正解でした。
高校も他県に行ってもっと広い繋がりを持てたのもすごく良かったです。そのことも正解でした。
自分の人生のわだかまりを文章で吐き出して、
楽になりました。