この文章は物語風にして記述します。
しかし文章化が難しいので、何を言わんとしているのかがわからないかもしれません。
Kは社会人になってから、ある格闘技の道場に通い始めた。その格闘技は小学生の頃に数年やってうまくいかずに辞めたものだった。
またKは中学時代にいじめられた経験がある。
そのいじめっ子のヤンキーの数名がその格闘技をやっていた。
Kはそのいじめっ子を見返すつもりで格闘技を再び習うことにした。(昔行っていた道場とは別の場所にある)
(いじめっこが自分をいじめていた分野・場所に自分から近づくという時点でおかしい)
その道場は自分より二周りほど年上の先輩数名がいた。場の雰囲気でいえば、グループの輪が出来上がっている、新参者が入りにくい場だった。
ある時練習が終わって先輩たちが話している時にある話を聞いた。その話の内容が問題だった。
先輩たちの中にM先輩という人がいた。
M先輩は昔はヤンキーで、ヤンチャだったらしい。
そのM先輩の昔の話(本当かどうかわからない)。
M先輩は学生時代から件の格闘技を習っていて、ヤンチャもしていた。
高校の初めに自分の腕を確かめたくて、学校のある不良に喧嘩を仕掛ける。(以下、この不良の方をA氏と呼ぶ)
そして得意の格闘技でA氏を痛めつけた。
自分の強さを確認できたM先輩は満足以外の気持ちはなく、A氏に暴力を奮ったことはすぐに忘れていた。
それから社会人になって、M先輩は件のA氏が別の道場で、自分と同じ格闘技をやっているのを人づてに知った。
さらに年月が過ぎて、A氏は階級が3段まで上がったらしい。M先輩は2段だった。
あるときA氏の人の所属する道場と交流したことがあった。そのときにM先輩とA氏が口論になる。
内容は
A氏が「俺はお前(M先輩)に喧嘩で負けたことが忘れられなくて、お前に勝つためにこの格闘技をずっと我慢して習い続けたんだ!」と言った。
それに対するM先輩の返答は
「ああ、そんなことあったな。完全に忘れてたぜ。」
その言葉にA氏は意気消沈し、それから鬱になり格闘技も辞めてしまったのだという。
そしてM先輩はA氏について次のようにも言った。
「あいつ(A氏)も段とか肩書きでしか、自分の価値を確かめられない「真面目くん」だったな。俺は仲間内で楽しみながら、ヤンチャしながら格闘技を習っていたのに。」
そのようにA氏を小馬鹿にするよう言った。
それからKにとって、M先輩のその言葉がずっと頭のどこかに引っかかるようになり、行動を縛る「心のブロック」となった。
周りの人より自分の境遇が悪くてそれを改善する努力をしたい時も、心のどこかで脅迫観念のようにM先輩の言葉がよぎる。
努力をしても自分の努力は的外れで、自分もA氏のように大きい反動が来るのではないかという強迫観念、それが何かをしようとすることに自分の心を縛っていた。
だがその一方でKは、M先輩が自分に言っていた話は、恐怖を植え付ける(洗脳する)目的でわざと言っていたかもしれないとも、うすうす感じていた。
思い返してみると、
自分がいじめっこを見返したくて格闘技を習い始めたことも、見透かされていたような気がする。
(先輩たちにそのことを話したことは一度もない)
でなければM先輩はわざわざそのような話を選んで言ってきたりはしないだろう。
それとその道場の先輩たちも、昔はもっとたくさんいたようだが、元々ヤンキー気質の人たちの集まりで昔はヤンキーの溜まり場になっていたようだ。よくみんなで悪さをやったりしたとも語っていた。
だがどちらかというとみんな「タチの悪いヤンキー」という感じだった。
いろいろと悪どい悪さもしていたようだ。
それと道場の先生も話は上手く魅力はあったが、ヤンチャな子を贔屓するタイプの人だった。
それから同じ道場の先輩Nに絡まれたりパワハラのようなことをされるようになり、道場も辞めることになった。
Kにとっては道場は最後まで馴染めなかった。
(その道場は新しく入った人がすぐやめる道場だったから裏で何かあるのかもしれない)
その後もM先輩の言葉や、先輩Nのやってきたことなどが頭をよぎることが何度もあった。
それらの自分の中の「心のブロック」ものちに会う人との会話や本などを読むことにより無くなっていった。
自分の行動を抑制する脅迫観念も徐々になくなっていった。
洗脳とはカルト団体だこでなく、洗脳とは気づかないレベルの中にも含まれている場合がある。
大抵の場合は自分ではそれが洗脳だと気づかないまま自分の心の中にいれてしまう言葉や情報のことだ。
だがそれらだがそれらの情報には違和感がある場合が多く、だんだん生きづらさや悪い脅迫観念になっていくものだ。
まずは洗脳に気づくこと。
自分にとって違和感・拒否反応のある情報は自分を苦しめるために意図的に誰かが蒔いた情報も含まれているということも知ることが重要だ。
さらにそれを自分ひとりで抱え込まずに、誰かに話すこと。また話すのが難しいなら文章にして誰かに伝えること。
それだけで心が楽になる。また相手からその情報は嘘や洗脳、おかしい情報だと指摘してもらえるきっかけにもなるからだ。
このように人を不安や恐怖、悪い観念で縛り上げる手法はいたるところな存在している。
最後に、周りの不安をもたらす情報よりも自分の気持ちに素直に生きることが一番大切だ。
自分の心に正直に生きること。周りの目を気にしない。ましてや自分に合わない者たちの目は気にしないこと。
それと付き合う人間は選ばなくてはならない。
付き合う人間が悪いと自分の人生まで悪くなってしまう。付き合う人間は重要だ。