こんばんは。
昨日はお釈迦様の誕生日、花まつりでしたね。
子どものころ、祖父に連れられてお寺に行って、誕生仏に甘茶をかけました。
懐かしい、昭和のひととき。
自分の中に、あの頃の子どもが息づいているのも感じられます。
先日、職場の歓迎会が少人数であったのですが、そこで子供のころ読んだ「幸せな王子」の話題になりました。
王子は、宝石と金で飾られた美しく心優しい銅像で、町の人たちの貧しく苦しい生活を見つめていました。
ツバメは、王子から王子の身を飾る宝石や金箔を貧しい人たちに与えてやってほしいと頼まれ、その務めを果たしているうちに、冬になってしまい息絶えてしまいます。
王子の鉛の心臓も、ツバメの死とともに割れてしまいます。
町の人たちは、亡くなったツバメと王子を粗末に扱います。
けれど神様は、王子とツバメを天国へと導き、褒めたたえたというお話です。
このお話を子供たちに美談として話すべきではないのではないか、という話題になったのです。
王子はツバメが断っても、冬になる前に暖かい国へ行かせなくてはいけなかった。
宝石や金箔を与えたとしても、貧しい人たちにとってそれは一時的な支援で、使い果たしてしまえば、貧困の根本的な解決にはならなかった。
なによりも王子が自らを犠牲にしてまで人に尽くすことが良いことと子どもたちに教えてはいけない。
こんな話題になりました。
私もそんな話を聞きながら、子どものころこの物語を読んで、胸の中がもやもやしていたのを思い出しました。
そして、王子も多くの人たちと知恵を出し合うことができれば、もっといい方法が見つかったかもしれない。
たった一人で貧しい人たちの悲しみを見ているしかできなかったから、ツバメが来てくれたときに、その方法しか見いだせなかったんだろうな。
今はインターネットがあって、現実社会で相談できる相手がいなかったとしても、気軽に掲示板で意見を聞ける時代。
もちろん、意見は玉石混交だから、自分が責任をもって選び取らなくてはいけないけれど。
自分を大事に、周りの人たちを大切に。犠牲にならない、させない。
そんなふうなことを思いました。
何十年かぶりに、子どものころのもやもやが晴れていったような気分です^^

