数日前に見た夢のお話です

 

X脚で背が高いおじさんがいて

その人が私に何かの競技について教えてくれていました。

 

その競技は競馬か競輪のようなものなのですが

その解説?は全て手話でした

 

手の動きで話す言語です。

 

それを教わった後に競技が始まりました。

 

全ての競技者がわーっと走ってくるのですが

途中で網に絡め取られて終わりました。

でもそれでいいみたいでした。

 

おじさんは私にもう教えることはないといい、

一緒に帰りますが

 

私は目の前の大きな橋、

おじさんは崩れかけた瓦礫のビルへとぼとぼと帰って行きます

 

おじさんに来ないのか聞くと、

そっちへ行けと言いました。

 

明らかにおじさんの方は瓦礫、

私の方は普通の橋ではあるけど明るくて大きくて

たくさんの人たちが向こう側へ渡っていて

 

私の夢でよく出てくる橋なのですが

迷ってしまい、帰って来られなくなるルートの橋でした

 

渡る前におじさんの向かったビルを振り返ると、

「大同生命ビル」と書かれていました

 

目が覚めた時に、

ひょっとしたら「6と7の架け橋」を渡れたのではないかと感じました。

 

6と7の架け橋というのは、

辻麻理子さんの本のタイトルなのですが

6次元と7次元の間にある

一見すると見えない壊された空間があって

なかなか渡れないと言われているものです

 

去年の7月にベンママさんのセッションを受けた時に

私が止まっていた場所でした

 

ここで言っておきたいのは

6とか7とか数字が大きければ偉いとかいうことではありません。

 

物の考え方、感じ方の面が一つ増えるということです


もっと詳しく言うと、自分の嫌な部分を受け入れて中心に戻った状態のことのようです

 

私は最近本当にダメダメな気分を味わっていたのに

何が渡れる要因になったのかを考えたんですが

 

それは

 

「自分を優先にしたこと」

 

じゃないかと感じました。

 

前回の記事にはほとんどハッキリ書かなかったのですが

それでも何のことを書いているか理解した人が

本人に告げ口して、私の立場が悪くなるのではないか?

 

と実はビクビクしていました

でもやっぱり、自分が傷ついたことは事実であって

 

八方美人な私が他の人を傷つけたり

敵を作らないように考えすぎていたら

それは他人軸ということになるなと思い、

記事を出したんです

 

言ってみれば、その行為が

新たに争いを生むかもしれないけど

それでも自分の傷への対処を優先した、という感じです

 

それで渡れたのかな

渡れたかはわからないけど・・・

 

今朝の夢ではその橋を渡って

美味しいものを食べにいく・・・そんなことをしてました

 

渡れるようになったと言ってもいいのかな?

 

決断が正しかったかはわかりませんが

自分がして来なかったことだったようです

 

やれることをやって

ダメになってもそれを受け入れること


言葉にすると、やって来られなかった自分が

恥ずかしいな🫣


 

でも、

その後嬉しいニュースなどが入ってくるようになりました


不思議ですね

 

 

 

 

ちなみに大同生命ビルが何かのメッセージかと思い

調べてみました。

 

「大同を捨てて小異につく」から命名した社名だそうです

 

この解釈は日中で違うらしく

 

 

 

🇨🇳→意見の違いを一旦棚上げして同じ方向性でまとまる

 

🇯🇵→意見の違いは捨てて同じ方向性でまとまる

 

 

 

だそうです。

 

 

自分の中で意見の違いは理解によって解消され

傷も癒やされたので

 

そもそも「大同小異=小さな意見の違い」そのものが不要になった、

そんな感じなのかもしれません

 


 

 

 

今回は以上です

お読みいただきありがとうございました。