ちょっと釣りっぽいタイトルにしてしまってごめんなさい。
今日は、食べ物と波動の誤解についてお話ししたいと思います。
育て方でお肉を選ぶ?
ブロイラーのような大量飼育された鶏や、豚肉や牛肉、牛乳を避ける人がいます。
そういう食べ物は波動が低いという理由です。
でも、全ての人が理想的な育てられ方をした食肉、いわゆる「グラスフェッドビーフ」のようなものや、平飼いの鶏や卵を手に入れられるわけではありません。
この世には、お肉を食べない人もいます。
理由は様々です。
お肉を食べない理由として、「育て方が可哀想だから」という理由を挙げる人もいます。
例えとして、少し前にSNSで問題にされていた例を挙げますね。
「乳牛の尻尾を切る」というのを知っていますか?
搾乳する際、尻尾が邪魔だからという理由で、切ってしまうのだそうです。
でも実際はそんな理由ではなく、尻尾についた糞などからの感染症の発生を防ぐためでした。
それなのに、生産者の都合でやっているというように誤解されていましたし、一時期私も真に受けていました。
(今は病気との関連がないということで、見直されてきているそうです)
また、子供が生まれてすぐ、母親から引き離されるというものもあります。
これは賛否あるようですが、もちろん業者さんの都合でやっているわけではなく、病気の管理などのためとのことです。
世の中の不安やどうにもならないことを、「誰か」を悪者にすることで安心しようという考えがあります。
それがつまり陰謀論なんですが、ちょっと行き過ぎたり、早合点してしまうのは避けたいですよね。
肉を食べた後は、気分が落ちる?
とはいえ、です。
共感性が高い人は、食べ物に含まれた“残存思念”のようなものをキャッチしやすく、それが気分として現れることがあると思っています。
・気持ちが憂鬱になったり、
・自由が感じられず、世の中の闇を感じてしまったり、
・やる気がなくなり、落ち込んだり・・・
でもね、誤解しないでください。
だから食べるなと言いたくはありません。
それを「波動の低い肉を食べたから」という理由にするのは簡単なんです。
だから自由に健全に育てられたお肉を食べましょう、または肉食をやめましょう・・・
はい、やめますとできる人は、そうすれば良いです。
でもそんなことできる環境下にいる人ばかりじゃないですよね。
そして、ここで最も言いたいことはこれです。
育った環境が悪い肉は波動が低い、と言っているということは、
つまり、
育てられ方で命の価値が決まると言っているわけです。
それは私たち自身の育ちも、評価の基準になってしまうということになります。
それは結局自己否定につながってしまう、間違った考え方だと思うのです。
共感力の高い人
科学的にどうこうではなく、あくまで共感の感覚として、こう思うんですよ。
実はこれらの感覚が「食肉」になった本人たちの波動だとしたら?
憂鬱さ
自由のなさ
やる気のなさ
落ち込み・・・
どうでしょう。
檻の中で育って、食べられるために生まれ、この世を去っていく運命。
そこにいる存在たちの気持ちと言えませんか?
共感力の高い私たちだからこそ、やるべきことがあります。
そう、ヒーリングすればいいんですよ。
彼らが自分たちの生命、人生を捧げてくれたことへの感謝は、
彼らが感じたかもしれない感情を私たちが味わった時にこそ、
「あなたの命は私の中で生きています。あなたの魂は、天国で癒されます」
と伝えてあげましょう。
同じような仲間と狭い場所に詰め込まれ、自由に走り回ることなく外の風景を見ていたのを、可哀想と思うなら、
彼らがもうそんな檻から出て、自由気ままに走り回り、新鮮な虫を突いたり、風や雨を感じながら幸せに生きるイメージを捧げます。
柔らかい牧草を踏みしめたり、寝転んだりしながら、暖かい日差しを浴びて眠ったり、泥まみれになったり、母親と引き離されることなく、幸せに暮らせる自由をイメージして、解放します。
命を引き継いだわたしたちが出来ること、それはエネルギーに変えることです。
どうせなら美しいものに変えたいじゃないですか!
まとめ
私たちにイメージの力や共感力、そして何より、「かわいそう」と思う愛情が備わっているのは、そんなふうに感じる人間として育てられた、ということでもありますし、誰かのために使うためかもしれません。
もちろん、ネガティブな感情に引っ張られそうになった時、「食べるのをやめる」という選択も自由です。
でも私たちの命を繋いでくれた存在たちに感謝する方法として、ヒーリングもまた一つの選択肢なのではないかと思ったので書いてみました。
彼らへの感謝と共に、イメージを膨らませてみる。
その先は、長い時間をかけて育ててくれた生産者への愛情の記憶へとつながるかもしれません。
彼らからのプレゼントとして受け取れたら嬉しいですね。
小さなことですが、こういう気持ちが積み重なったら、この世が愛で満たされる気がするのです。
完璧な環境で育つことだけを「高い波動」と呼ぶのなら、私たちは誰一人として完璧ではありません。
それでも生き、愛し、誰かを支えている。
ならば、どんな命も同じです。
今回は以上です。
お読みいただきありがとうございました。











