真名井神社を参拝し朝陽に染まる〜冬至丹後元伊勢行(10)←(承前)
天橋立に向け南面した籠神社境内の東端、柴垣に沿った駐車場へと北から入って行きます。
朝日に照らされ、杜が朱く染まっていました。
東門。
この時、まだ青空が見えていますけれど、冬の日本海はいかに気候が不安定なのか、これからしばらく後、存分に味わうこととなります(苦笑)
籠神社の正面へと回りました。
石造りの一の鳥居前に掛かった宇治橋の上で、万歳ポーズのサチエ。
デッカイぞ〜、という気持ちをあらわしているようです。
サチエのアップ。
しかし、何だか顔が笑っていません。
時刻はまだ07:30頃ですが、すでに疲れきった様子…
今度は私が宇治橋に昇ってサチエを励ましますが、グッタリと薄笑いを浮かべるのが精一杯。
その顔を、朝陽が照らしていました。
二の鳥居、その向こうが神門で、さらに奥に拝殿、本殿と続きます。
一の鳥居から全てが一直線上です。
籠神社
主/祭/神:彦火明命(ひこほあかりのみこと)※籠神社海部(あまべ)家始祖
相・・殿:豊受大神(とようけのおおかみ)※彦火明命の奉斎神
・・・・・天照大神(あまてらすおおかみ)
・・・・・海神(わたつみのかみ)※豊玉毘売(とよたまびめ)
・・・・・天水分神(あめのみくまりのかみ)※真名井神社水戸神の御子神
【別・称】籠宮大社(このみやたいしゃ)・元伊勢大神宮・伊勢根本丹後一宮・一の宮大神宮
【旧社格】延喜式内・名神大社・月次・新嘗・案上之官幣大社・山陰道一之大社
※以上、籠神社ホームページによる
境内の案内看板。
籠(この)神社(古称 吉佐宮(よさのみや))
御祭神・彦火明命
相殿・・豊受大神・天照大神
・・・・海神・・・天水分神
・神代の昔より奥宮眞名井原に豊受大神をお祀りして来ましたが、その御縁故によって崇神天皇の御代に天照大神が大和国笠縫邑からおうつりになり、之を吉佐宮と申し、豊受大神と共に四年間お祀り致しました
・その後天照大神は垂仁天皇の御代に、又豊受大神は雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢におうつりになりました・それに依って當社は元伊勢と云われております
・両大神がおうつりの後、天孫彦火明命を主祭神とし、社名を籠宮と改め、元伊勢の社、又丹後国一之宮として朝野の崇敬を集めてきました
正直に申しまして、火明命ってどのような神さまなのか、この時ほとんど分かっていませんでした。
天火明命(あめのほあかりのみこと)を主祭神とする神社は、他に尾張国一宮の真清田神社が有名だと思いますが、そこへかつてお伺いした際にも、曖昧に「?」という感じで参拝させて頂いた覚えがあります。
記紀神話での活躍が記憶にないため、何となく天孫の誰か…程度の認識しかなく、その上、この元伊勢行では予習をほぼしていませんでしたので、籠神社の主祭神は安直に豊受大神だとばかり思い込んでいましたから、この案内板を見て少しショックでした〜。orz
お恥ずかしい限りです。
そこで遅まきながら、火明命について調べてみると、複雑です(泣)
なるべく分かりやすそうな解説を選ぶと、↓こんな感じ。
出自はハッキリしない
アメノオシホミミ神の子、つまり系譜でいえばニニギと同じアマテラスの孫にあたり、「天孫」ということにもなります。ちなみにニニギの兄。子供にアメノカグヤマ神がいます。
しかし、播磨国風土記によると「オオナムチの子」とされていたり、記紀の中でもニニギとコノハナサクヤヒメの子供で山幸彦と海幸彦の兄弟とされたり、ニギハヤヒ神と同一という説もあるなど、強烈なキャラクターでありながら、何処の誰かはよくわからない神様。
ちょっと痛い神様
ちょっと性格がきつく、すぐに切れる。播磨国風土記の中ではオオナムチ(オオクニヌシ・オオモノヌシ)の子供とされています。アメノホアカリのキレやすい性格にホトホト困り果てたオオナムチは、仕方なく騙して置き去りにしようとします。アメノホアカリに水汲みを命じ、そのすきに船で出発しました。水汲みを終えたアメノホアカリは当然、騙されたことに気づきます。ブチ切れて風と大津波を起こし、父オオナムチの船を沈めてしまいました。あー怖い。確実にDQN。
物語・由来
古事記に登場するのは「オシホミミの提案どおりにニニギが降る」のみ。
●尾張氏、津守氏、海部氏などの先祖であり、先代旧事本紀ではニギハヤヒ(神武天皇の東征のときにナガスネヒコを裏切った高天原系の神)と同一視されている。ニギハヤヒは物部氏の先祖。
『播磨国風土記』や『先代旧事本紀』などにもその由来が遡るそうなので、今の自分にはちょっとハードルが高いですねえ…
二の鳥居。
一の鳥居は石製でしたが、こちらは木製です。
二の鳥居をくぐる前に手水舎へ。
私も何だか寝ぼけた様子で、サチエのことばかりカラかっていられませんね。
重要文化財の狛犬「阿」。
狛犬の説明看板。
重文狛犬(こまいぬ)(阿吽一対)伝 鎌倉時代作
伝承によると、作者の一心で魂の入った狛犬が、天正年中不意に天橋立の松林に出現して、元伊勢詣りの参拝者や通行人を驚かした。偶々(たまたま)親の仇討ちにひそんでいた岩見重太郎が之れを聞いて鎮霊を決意し、一夜待ち構えて音の方向に剛刀を一閃したところ、石の狛犬の前脚が切れて出現が止んだと云う。以来社前に還座して専ら魔除(まよけ)の霊験が聞こえたと伝えられる。
他所と違い、胴と脚がどっしりして、日本化された狛犬の最大傑作と云われる。
狛犬「吽」。
確かに前足が切られ、継がれたようになっています。
神門。
この先は撮影禁止です。
ということで、↓上の写真をアップ。
この拝殿で本殿への参拝を終えると、境内摂社・末社を巡ります。
向かって右隣に、海部家の祖神二柱を恵美須として祀る摂社の恵美須神社がありますけれど、こちらも撮影禁止かと思ったため、写真がありません。
恵美須神社(えびすじんじゃ)※摂社
祭神:彦火火出見命※(ひこほほでみのみこと)・倭宿祢命(やまとすくねのみこと)
・・・※籠神社の古伝承では、彦火火出見命は彦火明命の別名とも云われています
そしてこちらは、本殿に向かって左隣。
写真の右から、
天照大神和魂社(あまてらすおおかみにぎみたましゃ)※摂社
祭神:天照大神の和魂(にぎみたま)
春日大明神社(かすがだいみょうじんのやしろ)※末社
祭神:武甕槌命(たけみかづちのみこと)・経津主命(ふつぬしのみこと)・
・・・天児屋根命(あめのこやねのみこと)・比売神(ひめかみ)
猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)※末社
祭神:猿田彦神
真名井稲荷神社(まないいなりじんじゃ)※摂社
祭神:宇迦之御魂(うかのみたま)・保食神(うけもちのかみ)・豊宇気毘売(とようけひめ)
そして、倭宿禰命の像。
大きな海亀に乗っています。
右手にお持ちの玉には、どのような由縁があるんでしょうか。
倭宿禰命は、海部家四代目の祖ということです。
・倭/宿/禰/命
別名・珍(うづ)彦・椎根津彦・神知津彦
籠宮主祭神天孫彦火明命第四代
海部宮司家四代目の祖
神武東遷の途次、明石海峡(速吸門(はやすいなど))に亀に乗って現われ、神武天皇を先導して浪速、河内、大和へと進み、幾多の献策に依り大和建国の第一の功労者として、神武天皇から倭宿禰(やまとのすくね)の称号を賜る。
外に大倭国造、倭直(あたい)とも云う。
大倭(おおやまと・だいわ)の字音は、後の大和の(やまと)の国号に深い関係があると云われる。
亀に乗ったお姿は応神朝の海部の賜姓以前、海人族(あまぞく)の始原の一面を語り、又海氏(あまうじ)と天系(あまけい)との同一出自をも示唆するようである。
御/紳/徳
人生先導、事業成就、健康長寿、平和招来、海上守護
元伊勢・籠神社・・・・・・・・・・
八十二代宮司・海部光彦・・
海亀の鼻頭を撫でて一揖すると、そのまま裏参道から境内を出ました。
次はケーブルカーで傘松公園へ昇り、そこから登山バスで成相寺(なりあいじ)へと向かいますが、ともあれ休憩することにして喫茶店を探します。
時刻がまだ08:20ごろと早かったため、中々開いているお店が見つからない中、国道178号線沿いに化粧品店と兼業されているコーヒーハウスブレスを発見できたので入店。
ほっこりと家庭的な店内で、温かい淹れたてのコーヒーと店主との談笑でようやくホッとした一時を過ごすと、ケーブルカーの府中駅へ出立します。
(つづく)→ 昇龍観の傘松で天橋立を股のぞき〜冬至丹後元伊勢行(12)