2020夏至伊勢行(2)大潮に神前岬の潜島へ初参拝 ←(承前)
いつもの伊勢行では、おおよそ未明から夕方までビッシリ予定を入れているところ、今回はノンビリ巡ろうという方針だったため、潜島を参拝させて頂いた後の計画がないままでした。
そのため、神前海岸の浜辺で撤饌(おさがり)を昼食に頂きながら、海を見つつボンヤリこれからどうしようか考えていますと、鏡宮神社へ行くことを思いつきました。
というのも、大潮でこれほど潮が引いているなら、鏡宮神社を挟んで合流する五十鈴川と朝熊川も、かつて見たことがないほど水位が下がっているに違いありませんから、今まで知らなかったお姿を拝見できるのでは、と考えたからです。
※上の写真はその時に撮ったパノラマ写真。左右を川に挟まれてこんもり繁った中央の杜が鏡宮神社
下の地図をご覧頂ければ分かるのですが、赤アイコンで示した鏡宮神社の横を北へ向け伊勢湾へと流れているのが五十鈴川で、鏡宮神社の立地はとても河口に近く、潮の干満が川の水位に大きく影響する地点であることが見て取れます。
ということで、神前海岸から車で直行し、朝熊神社前に到着しました。
時刻は、大潮の干潮がピークとなった12:03より少し遅れて12:50頃。
この右手が、朝熊神社と朝熊御前神社の杜です。
手前から向こうへと流れている朝熊川が、その先で五十鈴川に合流しています。
その朝熊川を挟んだ左の向こう岸が、鏡宮神社の杜となります。
今まで、ここで見る川の水量はいつも豊富でしたから、やはり大潮における干潮の影響は大きいものでした。
下に引用した過去記事の写真と見比べれば、その違いがはっきりと分かります。
日々のさまよい/鏡宮神社の聖なる双鏡へと神は降臨する〜2016冬至伊勢行(9)
朝熊橋の上から、五十鈴川の方を望みます。
右が先にお参りした朝熊神社の杜、左が今からお参りする鏡宮神社の杜。
足元を向こうへ流れる朝熊川は、この先に見えている五十鈴川へと合流しています。
逆に、上で引用した写真のように川の水位が高い場合、その水面にはほとんど波が見えず、ほぼ水が流れていないかのように見えますから、この場合だとやはり満潮の影響をそのまんま受けていることが分かります。
この、私たちにとっては珍しい干上がった川の様子を、朝熊神社の前からパノラマで撮ってみました。
ともあれ、先ずは皇大神宮摂社の朝熊神社と朝熊御前神社に参拝させて頂きます。
先の冬至には、ここへ来れなかったため知らなかったのですが、この一年の間に遷宮が成されていました。
おめでとうございます〜!
新築して間もない社殿とともに記念撮影。
そして、皇大神宮末社の鏡宮神社。
こちらの社殿は、まだ古いままです。
河原へと降りる石段横に、「虎石」。
今までは、この木柵へ被さるように枝葉が覆っており、その上、足元ぎりぎりまで川面が迫っていましたから、なかなかじっくりと拝見できませんでした。
けれど今回、このようにスッキリと明るい状態で足元に不安もなかったため、初めてまじまじと「虎石」にご対面させて頂けました。
そのお陰さまを持ちまして、ずっと知らなかったこの「虎石」という名の由縁を、今回ありがたく知ることができたのです。
詳しくは、後ほどに…
日々のさまよい/鏡宮神社の聖なる双鏡へと神は降臨する〜2016冬至伊勢行(9)
水辺の「虎石」。
ただ、どうしてこの岩が「虎石」と呼ばれるのか、今のところ私は知らないままですが…orz
河原へと降りました。
三角州がそのままの姿であらわれています。
かつて見た風景だと、ここはいつも川面でした。
このように、川の水位にまで影響を与える潮の干満は、月の満ち欠けの周期に合わせくり返されます。
そのため、ここで二面の神鏡を虎石にのせ祭祀が行われていたということですから、その際、鏡に映されたのは月、だったのではないでしょうか。
さらには、神鏡は二面とのことですから、神鏡そのものが満月 (望) と新月 (朔) の表象であったとか、あるいはもしかして、月と太陽で一対だったとか…
ともあれそのような祭祀にとって、月の満ち欠けに合わせ浮き沈みし、五十鈴川と朝熊川という2つの聖流によって生成されたこの三角州こそ、もっとも相応しい聖地とされたのではないかと思われます。
そういえば、「水月」という言葉がありますね。
主に「水に映った月」という意味になると思いますが、そのようなイメージも、この鏡宮と神鏡の祭祀には、込められているように思えます。
手元の画像で適当に合成↑してみましたけど、こんな感じになりますでしょうか…
まあ、いずれ機会があればぜひとも、このような満月の夜に訪れてみたいと思います。
月と鏡はともに他者の像を反映するという相似の機能を担い,心理的にも互いに隣接する観念である。両者は地上の現実世界の反映であると同時に,異次元世界へ と人を誘う扉でもあり,我々のなじみ深い世界にぽっかり空いた未知の世界,夢の世界への入り口である。
水位の高い時には立てなかった川面の位置にカメラを持って立てましたから、落ち着いて「虎石」と記念撮影。
木柵の根元が朽ちていることで、水量が多い時にはここまで川面の上がって来ることが分かります。
この木柵も、鏡宮の遷宮が成されれば新調されるのでしょう。
そうして、せっかく姿を見せてくれた三角州の先まで行ってみます。
ここで朝熊川と合流した五十鈴川は、この先700mほどで左右に分岐し、左の本流は河口で瀬田川と合流、右へは五十鈴川派川として二見町の江と松下の間を抜け二見浦へと流れています。
鏡宮の方を振り返りました。
右手前にある大きな岩は潮干石、だと思います。
干潮の際、このように姿を現すところから、そう命名されたものと思われます。
五十鈴川の中にも、いくつか大きな岩が存在します。
ウロ覚えでハッキリしませんが、これらそれぞれにも名前があるような記述を、どこかで読んだような気がするんですけれど、どうにも思い出せません(泣)
冒頭でも掲載しましたが、この三角州の先っぽから、鏡宮を挟んで合流する五十鈴川と朝熊川を一望するパノラマ写真↓の大型版。
そして、ここでの最後に、撮影がしやすくなっている「虎石」を、色々な角度から撮ってみました。
そうすると、あれ? もしかして…と気付くことがあり、そのことが最も分かりやすく見えるアングルを探していると…
どうでしょう?
こう見ると、「虎石」ってまさに猛獣の虎、だったようですね〜
この絵↓と見比べて頂ければ、分かりやすいと思います。
虎に似た石だから「虎石」。
ちゃんと拝見するまで分かりませんでしたけれど、意外とシンプルな理由だったようです(笑)
お顔はちょっと、虎というより龍に似ているような気もしますけどね。
とはいえ月と虎は、古来より定番的なモチーフですから、相性としてはバッチリです。
これにて、積年の謎も解決しました〜〜
ということで、この夏至当日はこれにて参拝終了となりました。
この後、割烹大喜と山川活魚ととやに寄って夕食を調達、二見浦へ戻るとホテルにチェックインして入浴を済まし、今度は素晴らしい夕陽を遙拝させて頂きまして、ゆっくり過ごしました。
ここで思い出したのですが、先日、二見興玉神社から夏至祭斎行の御礼状を頂戴しており、私たちが目の当たりにさせて頂いたご来光の写真を載せておられましたので、ご紹介いたします。
そして翌日、未明04:00頃に内宮駐車場へ到着しました。
いつもなら、宇治橋前の内宮A駐車場を利用するところ、コロナの影響で閉鎖されていましたので、おはらい町の少し向こうに離れた内宮B駐車場へ車を入れます。
そこから、まだ暗い中を歩いて宇治橋前に着くと、先ずは内宮の向かい側、鼓ヶ岳の麓に鎮座されます饗土橋姫神社から津長神社、大水神社と巡り、開門時刻05:00ちょうどに内宮へ参入できました。
そうして内宮をゆっくりと参拝して後、おはらい町を通って駐車場へと戻りますから、久しぶりに赤福本店へ寄って縁側に座り、ツバメが元気に飛び交う姿を楽しみながらお餅とお茶を頂きました。
今回、これにて伊勢市での参拝は完了し、いつも私たちにとって伊勢参りの〆となる大紀町の瀧原宮へと一気に進みます。
瀧原宮の参道。
今回、なかなか小さな雨蛙が見つかりませんでした。
いつもなら、小さな雨蛙が参道にぴょんぴょん跳ねていたりするのですが、ようやく御手洗場から社殿の方へ少し上がったところの大杉の根元で、この子に出会えました。
すると、その大杉の幹にも、少し大きめの雨蛙↓がいるのを発見。
しばらくじっとしていましたが、それをまじまじと私たちに見られているのを嫌ったか、あるいは何かの理由でそちらの方へ行きたかったのか、急に木を登り始めました↓
見ていると、結構な速さで木をドンドン登って行きます。
そうして人の背丈くらいの高さまで来ると、苔の中でようやく安心したように留まりました。
苔との保護色でやっと隠れられた気分でしょうか?
もしかして、ここにいると、虫など捕食しやすいのかな?
理由はよく分かりませんけれど、これほど元気に一気呵成の勢いで木を登る蛙を見たことがありませんでしたから、何だか健気でいじらしく、そのままそっと私たちはこの場を立ち去りました。
ということで、「木登り蛙」は、まあ、オマケ的なエピソードですみません…
ついでに、もひとつオマケで、サチエの蛙ポーズを(苦笑)
さて、この後はいつも通り、太陽を追いながら西へと太陽の道を辿って三輪に到り、この夏至伊勢行を満願させて頂きました。
今回は特に、私たちにとって思わぬ僥倖といえる出会いに色々と恵まれまして、本当に感謝に堪えない伊勢行とさせて頂きました。
ありがとうございます。
(おわり)
~いつも応援ありがとうございます~