ちょっとした不便。

ちょっとした不具合。

ちょっとしたゴチャゴチャ感。

 

そういうのって、日常にけっこうある。

でも、日常だから慣れてしまって、そのままに。

 

 

だけど、やっぱり。

 

ちょっとした不便。

ちょっとした不具合。

ちょっとしたゴチャゴチャ感。

 

それらは消えなくて。

 

ちょっとずつ、ちょっとずつ、溜まっていく。

溜まっていっていることすら、気づかないくらい、ちょっとずつ。

 

 

 

もう合わなくなってきているけれど、まだ使えるし。

もう色が剥げちゃってるけど、まだ使えるし。

もうガタがきはじめてるけど、まだ使えるし。

 

もったいない。という美徳。

 

もう。と、まだ。の自問自答。

 

 

まだ使える。

 

それ、「まだ」と「使える」の間に言葉が入るよ。

 

まだ「我慢すれば」使えるし。だ。

 

 

 

もう「使ってない」けど、まだ「使える」しなあ。

 

という謎な思考になるのが、化粧品の類。

 

化粧品や化粧道具って、なんだかんだと増えていく。

試供品など、使わず取っておくのはなぜだろう。

 

少し残ったままの化粧下地。

これ、いつ買ったっけ?

というのも、そのまま置いてある。

 

もう似合わなくなったチークやシャドウ。

またいつか使うかも、って、使ったためしがない。

 

そんな雑多な化粧道具箱の中身を、今日、スッキリさせた。

 

だって、昨シーズンのものって、もう使わない。

というか、劣化して肌に悪そう。

 

髪型や髪色が変わると、似合うメイクも変わるのだから、今の自分に合ったものを使いたい。

 

持ち歩く化粧ポーチに入れるものも、最小限で大丈夫。

詰め込んだところで、取り出すのに苦労するだけ。

 

 

 

「ありがとう」

 

ってお礼を言って、こまごましたモノたちを処分した。

 

ゴチャゴチャの中から目当てのものを探し出す必要もなくなったから、メイクもスムーズにできる。

なにより、すっきりとした化粧道具箱と化粧ポーチが心地いい。

 

 

 

きっかけとなったのは、ホッチキス。

 

ずっと前からあったホッチキス。

だんだん古くなって使いづらくなり、うまく留められないこともあるけれど、それでもまだ使えるからと、そして、そんなにしょっちゅう使うわけではないからと、そのままにしていた。

 

だけど、使うたびに、小さなストレス。

留めるのを失敗して、へんなふうに刺さった針を外すのも小さなストレス。

 

なので、思いきって、そう「思いきって」新しいものを購入したのである。

 

そしたらね、なんと快適であることか!

新しいホッチキスは、針の補充がしやすくなってる!

力を入れずにパチンと留められる!

針が引っかかって留めるのをミスることもない!

 

あー、気づかなかったけど、いや、気づかないふりしてたけど、わたし、かなりストレスを感じてたんだなあ。って、新しく買い替えてみて、すっごくよくわかった。

 

 

小さなストレスの積み重ねって、けっこうダメージがある。

 

これからもいろいろ工夫して、小さなストレスをなくしていって、気持のいい暮らしにしていきたいと思う。

 

ブログを再開した時期に、いろいろごちゃごちゃしていたものを整理・処分した。

 

 

そのとき整理・処分したものは、メールやLINEの履歴、SNSなどのデータ的な「オモイデ」。

 

そして今度は、形があって手に取れる「モノ」についても、スッキリしたい欲が出てきた。

 

 

今日は、溜め込んでいた不要な書類や、古い通帳などをシュレッダーして、とても気持ちがいい。

 

書類ケースの引き出しに詰め込んでいたプリント類も、シュレッダー。

 

どこで貰ったか思い出せないひとたちや、もう会うこともないひとたちの名刺も、シュレッダー。

 

 

 

見慣れた部屋を見渡せば、これまた意外にも、たくさんのいろんな入れ物・容れ物がある。

 

今日は、ひとつの書類ケースを整理して、不要なものを処分した。

 

しかし、まだまだ、いろんな箱やケースや小物タンスなどがある。

ここ数年、開けたことのないものも。

 

 

 

 夫や娘のものが多くて。

 夫や娘のものは勝手に触れないから。

 

って言い訳して、手を付けず、放置していたけれど。

自分のものだって、かなりたくさん。

 

だから、わたしはわたしのものたちを整理して処分する。

 

 

空間をあけて、スッキリさせて、角を揃えて、自分にとって使い勝手がよく、気持ちよく暮らせるように。

 

 

紙の処分は、シュレッダー。

 

うん。

シュレッダー、楽しい。

 

あ、そうか。

すとん、と納得。

腑に落ちた。

 

 

自分の心地よさや、自分の好きを選ぶ。

他人基準ではなく、自分基準で生きる。

 

これって、洋服選びと一緒だね。

あなたは洋服、どういう基準で選んでる?

 

 

生まれてからしばらくは、おとな(だいたい母親)が選ぶものを着せられてた。

文句も言わず、って、そもそもしゃべれないし、よくわかってない。

あ、でも、チクチクしたり、肌触りが悪いものについては、ゴネていたかも。

 

こどものころは、たいてい親から与えられたものを着ていた。

ときには自分の好みの服を、まず親が選んだものの中からチョイスさせてもらうこともある。

 

だけど、わたしが単独で選んだものは、

「色が派手」だとか、「値段が高すぎる」とか、「似合わない」などと却下され、けっきょく親が選んだものを着ることになる。

 

「あなたのことは、お母さんが一番よくわかっているんだから、お母さんに任せていればいいのよ。お母さんがちゃんと選んであげるから」

 

そうやって育つと、なにを着ていいのか、自分では選べなくなるんよね。

自分で選んでいるつもりでも、お母さんに文句を言われないようなものを無意識に選んでる。

そして、そういうものが自分には合うから、似合うからって思い込んでいるものだから、その枠から、はみ出すこともなく。

 

 

でも、ね、もう自分で選んでいいんだよ。

 

自分にとって着心地のいい素材。

着ればモチベーションの上がるデザイン。

気持が明るくなる色使い。

サイズ感もぴったりなもの。

 

自分にしかわからないんだもの、着心地の良さやサイズ感は。

 

 

お母さんの好みじゃなくて、自分がHAPPYになれるものがいい。

 

お母さんはお母さんの好みのものを着ればいい。

わたしはわたしの好きなものを選ぶ。

 

小さいころは文句を言わず、お母さんの選んだものを着ていただろうけど。

もう、わたしはわたしで選べるし、選びたい。

 

 

服も、靴も、生きかたも。

 

わたしは、わたしに合うもの似合うものを選んでいく。

 

 

おとなになるっていうのは、自分で選べるってこと。

選択の範囲が広がるっていうこと。