年数を経て。

 

大事だったものが、不用品となる。

重宝していたものが、粗大ゴミとなる。

 

ちょっと寂しく感じたりもするが、モノだって世代交代。

 

いままでよく働いてくれたことに感謝。

 

お別れのときがやってきた。

 

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不用品や粗大ゴミとなったモノたちを、今日、大量に処分した。

 

業者さんにお願いして、引き取ってもらった。

 

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そう。

今日、突然、片付けのスイッチが入ったのだ。

 

もう必要のなくなったモノたち、処分したいモノたち、だけど、日々の普通ゴミとしては出せないモノたち。

 

それらを一斉大処分。

 

 

回収業者さんに電話をしたら、今日、来てくれるとのことだったので、思い立ったが吉日。

 

回収してもらうモノたちを、玄関先に運ぶ。

よくこんなにも溜めたもんだと、自分でも呆れるくらいの量。

 

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バイバイしたあと、ものすごくスッキリした。

部屋の空気も軽くなったみたい。

 

 

収納も大切だけれど、モノが多すぎるのはしんどいね。

 

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今日で、ずいぶんスッキリしたけれど、まだまだ減らせる。

 

また気が向いて、片付けのスイッチが入ったら、大処分の第二弾をやろうと思う。

 

わたしの父親は、どうしてあんなにも「好きなこと」や「楽しいこと」というものに対して、拒否反応を示したんだろう。

 

好きだから。

楽しいから。

 

とても重要で素敵な動機であると思うのだけれど、父は、それらすべてが「逃げ」であり「甘え」であるとジャッジした。

 

 

好きだからこそ、もっと知りたい、学びたい。

楽しいからこそ、もっと深く、もっと高く、極めたい。

 

そういう感覚を父は持ち合わせていなかったのか、好きとか楽しいというのは、誘惑であって危険なことであり、即、堕落に繋がるものだと信じて疑わなかった。

 

 

 

父は、「歯を食いしばって頑張る」というフレーズが好きだった。

 

辛くても苦しくても投げ出さず、弱音を吐かず、ただひたすら我慢と忍耐を強いられるシチュエーション。

そのなかで、「歯を食いしばって頑張っている自分」の姿を脳内に映し出し、酔い痴れ、それを支えに生きてきたようだ。

 

それが父にとっての「正しさ」であり「美しさ」なんだろうな。

 

だから、まあ、父は父で、自分の好む正義を貫いたわけだから、きっとそれでよかったのだろう。

 

そう。

けっきょく父は、自分の好きなように生きてきた。

 

気づいてはいないだろうけれど、たくさんの選択肢のなかから、父も自分の「好き」をチョイスし続けてきたわけだ。

 

 

なんだかんだ言っても、ひとは好きなことしかできないんだろうな。

 

子どもが反抗する。

子どもが親に反抗する。

 

その反抗の裏側にあるものは、やさしさなのかもしれないな。

 

 

子どもが親にぶつけてくる言葉。

それ、ほんとうはわたしが誰かに言いたかったことなのかも。

 

 

こどもが、嫌だ嫌だと泣き叫ぶとき。

わたしにも、ずっとずっと我慢して、自分を押し殺しているものがあるのかも。

 

 

子どもが、いろんな言葉をぶつけてくるとき。

いままでわたしが握りしめてきた「当たり前」を粉々に破壊し、それによって新しい価値観に出会えるチャンスかも。

 

 

 

「おとうさん、おかあさん。そんな生きかた、考えかたでは、しんどいでしょ、苦しいでしょ。自分に課したルールを変えてもいいし、変わってもいいんだよ。もっと笑って生きようよ」

って、必死になって伝えてくれているのかもしれないな。

 

子ども自身も、モヤモヤとした不安定な状態のなかだから、こんなふうに理路整然としているわけではないけれど。

 

 

子どもの反抗の裏にあるものは、親を救いたいというやさしさなのかもしれないな。